はじめに
群馬県担当の唐澤と申します。今回は、群馬県高崎市箕郷町に位置し、国の指定史跡に認定され、日本百名城にも選ばれている箕輪城址をご紹介致します。
榛名山東南麓の丘陵上を中心に、北東と南西の平地部を含んだ戦国時代の平山城です。
東西約500メートル、南北約1,100メートル、面積約36ヘクタール(史跡面積=約21ヘクタール)におよぶ西上野(にしこうずけ)の中核的な城郭でした。
北西から南東方向にのびる尾根上に主要な曲輪(くるわ)を直線的に配置し、さらにこれを核にして多数の曲輪を線対称状に配置しています。
曲輪とは、城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域の名称のことです。
これらの曲輪を区画しているのは、本丸周囲を巡る最大幅40メートル、深さ10メートルに代表されるような広大な堀です。
この記事では、箕輪城址の魅力と歴史を紹介しながら、訪れる価値のある見どころをお届けします。
箕輪城の概要
箕輪城は約500年前に長野業尚によって築かれた歴史ある城です。
現在の城跡は、井伊直政在城当時のもので、昭和62年に国の指定史跡に認定され、日本百名城にも選出されました。
その広大な敷地内には自然が豊かに広がり、四季折々の美しい景色を楽しむことができます。
長野業尚による築城以降、箕輪城は歴史の舞台となり、多くの城主が交代してきました。
武田氏の侵攻を防いだり、織田氏、北条氏、そして井伊直政の下で繁栄を極めたりと、
その歴史は多彩であり、日本の戦国時代の情景を垣間見ることができる貴重な場所となっています。
箕輪城の歴史
箕輪城は永正年間に長野業尚によって築かれ、その後、長野氏4代の拠点となりました。
3代目の長野業政の時代には全盛期を迎え、武田信玄の侵攻を何度も撃退しました。
しかし、次代の業盛の時には要所を失い、永禄9年(1566年)にはついに武田氏によって落城してしまいます。
武田氏は「武田四天王」といわれる内藤昌秀を箕輪城に配置し、西上野支配の拠点としました。
その後も時代の流れに従って、武田氏(内藤昌秀)→織田氏(滝川一益)→後北条氏(北条氏邦)→徳川氏(井伊直政)と支配者が移り変わりました。
武田氏を滅ぼした織田信長が北関東に配置したのが名将として知られる滝川一益でした。
一益は信長の死後、北条氏との神流川合戦で敗北して帰還しました。
このため、信長の後継者を決める「清洲会議」に間に合わず、会議を仕切った豊臣秀吉の台頭を許します。
豊臣秀吉は、小田原城を本拠におく後北条氏が大名間の私戦を禁じた天下惣無事令を無視して真田領の名胡桃城(なぐるみじょう)
を落としたことに対しての征討軍をおこしました。
碓氷峠からは、上杉景勝、前田利家、真田昌幸の連合軍が進軍し、最初に松井田城を落とし、その後、箕輪城に進軍して落城させました。
秀吉は、その後小田原城を開城させ、全国統一を果たします。
その結果、関東には徳川家康が配置され、箕輪城には家康家臣の中では最高石高の12万石で、井伊直政が城主になりました。
井伊氏は箕輪城を大改修し、城の大手門の位置も変更されたといわれています。
しかし、慶長3(1598)年、箕輪城主井伊直政は徳川家康の命令により高崎城を新たに築き箕輪城より移転しました。
井伊直政が高崎へ城を移すと、箕輪城は廃城となりました。
箕輪城の見どころ
本丸跡:かつて城主たちが居住していた本丸の跡地は、歴史の息吹を感じる場所です。
石垣や土塁の一部が現在も残されており、当時の城の様子を知ることができます。
御前曲輪跡:本丸付近の祭祀の場
攻め寄せる武田軍35,000人に対し、箕輪勢はわずかに1,500人で抗戦。若干19歳の城主業盛はよく防戦しましたが、
ついに永禄9年(1566)9月、武田軍の猛攻のなか、御前曲輪の持仏堂で自害したと伝えられています。
二の丸跡:
三の丸跡:
三の丸の石垣は城内で最も高く4mあります。築城当時では最先端の技術が用いられていました。
郭馬出西虎口門[かくうまだしにしこぐちもん](復元):2016(平成28)年に復元されました。
瓦の出土がないことから、屋根は板葺きであり、8つの礎石が全て残り、その配置から2階建ての櫓門であることなどがわかりました。
これにより、当時の城門の姿を想像することができるでしょう。
本丸・蔵屋敷間木橋(復元):2022(令和4)年3月に復元しました。
木橋の整備にあたっては、高崎城の本丸にかかる木橋の絵図が参考にされました。
搦手口(からめてぐち):裏口です。
長野氏・小田原北条氏の時代には、こちら側が大手口(正面)であったといわれています。
大手口(門):
井伊直政は箕輪城を大改修し、このときに大手門の位置も変更されたと言われています。
散策コース:広大な敷地内には散策コースが整備されており、四季折々の自然を満喫できます。
特に桜の季節や紅葉の時期には、美しい風景が広がります。
まとめ
箕輪城は群馬県高崎市箕郷町に位置する日本の名城であり、国の指定史跡に認定されています。
歴史的な価値と豊かな自然を兼ね備えた箕輪城址は、観光客にとって貴重な魅力を持つ場所です。
本丸跡や郭馬出西虎口門などの見どころを訪れつつ、四季折々の美しい風景を楽しみながら、
戦国時代の歴史と古城の面影に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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