こんにちは!記録的な寒波が続く八ヶ岳現地コーディネーターの山田です。
今年の2月は積雪は少ない印象の清里ですが、厳しい寒波の影響で、
夜間はマイナス10度、日中もマイナス2度からマイナス6度と厳しい寒さが続きます。
燃料価格の高騰とこの寒波でお財布も厳しい寒さの状態です。
先日、トルコから戻って来たのですが、トルコは日本と同じような季節帯なので
イスタンブール、アンカラ、イズミルも東京と同じような寒さですが、東アナトリア
内陸部のコンヤやカイセリでは毎年平野部は雪に覆われて一面の銀世界のはずが、
今年は全く雪がなく現地の人も驚いています。
今回は観光先進国としてのトルコの今と簡単なトルコの歴史をご紹介して、
次回は、現在のトルコから考える、日本のリゾート移住のヒントについて
ご紹介したいと思います、よろしくお付き合い下さい。
トルコ渡航の理由は?
美術品の買付け及び2023年度外国観光客数世界一位になったトルコ視察。
官民が一体となった観光産業への取り組みと、ビジネスとして文化財の宿泊施設へ
のリノベーション・コンバートの実際について、興味があり各地を見学して来ました。
トルコへの外国人観光客数5,670万人、日本は外国人観光客数2,507万人、
トルコ共和国の人口は8,533万人で観光客数対人口比率66.4%
日本は12,450万人の人口で観光客数対人口20.1%となっています。
どうして海外旅行者数が急増したのか?
2007年にトルコ政府は「トルコ観光戦略」を策定し官民をあげて
観光資源の整備、インフラ整備(各都市を結ぶハイウエイの建設・IST空港の拡大)
観光開発地域を15箇所指定し、冬季リゾート地区や地中海沿岸部の開発、
そして観光教育(ツーリズム学科)を設立し、ホテル経営・観光の学部も設けるなど
あらゆる分野を観光産業に照準を合わせて取り組んだ結果、2023年の外国観光客数
世界一位となりました。
観光地としてのトルコの魅力は?
トルコの首都はアンカラですが、有史以前から重要な街としてイスタンブールが
人気の観光都市。地理的にマルマラ海と黒海に挟まれボスポラス海峡の両側に
広がる都市でトラキアと呼ばれるヨーロッパ側とアナトリアと呼ばれるアジア側に
分かれており、さらに金角湾が市街に入り組み、複雑な地形によりビザンティンや
コンスタンチノープルが栄えた天然の港を有します。
この地形がヨーロッパとアジアが出会う街として、アジアからはシルクロードの
終着点として、ヨーロッパからはオリエント急行の終着駅として、数々の文化と
帝国の勃興と衰亡を礎に現在のイスタンブールが虹彩を放つ都市として多くの人の
訪れる街となっています。この観光地として無双の資源を持つトイスタンブールですが、
人気の秘密はやはり、時代時代においてアナトリアの地に文明が現れ、侵攻され、
国が興り滅びた証が刻まれている事が考古学の観点、人類学の観点からも重要な
フィールドなのです。
簡単なトルコの歴史を解説
1、メソポタミア文明よりもはるか昔に先史時代の痕跡「カライン洞窟」、
世界最古の宗教施設ギョべクリテペ遺跡がアンタルヤ地方に。
2、紀元前2500年〜紀元前1700年にヒッタイト帝国(青銅器時代)
ヒッタイト帝国は製鉄技術と軽戦車によりアナトリアの初めての統一国家に。
3、ヒッタイト帝国と同時期にエーゲ海側でトロイ(トロイの木馬で有名)が
ギリシャから興りアナトリア西北で栄える。
4、ヒッタイト帝国が滅亡(紀元前1250年)その後小国家が群雄割拠し
ウラルト国、リュディア国、フリギュア王国(王様の耳はロバの耳で有名)、
カリア王国がアナトリア各地で勃興した。
5、紀元前1000年ごろにギリシャからアイオリア人、イオニア人、ドーリア人が
エーゲ海をわたり、イズミル地方に都市を建設し、古代ギリシャ時代を迎える。
6、アケメネス朝ペルシャが紀元前550年、アナトリア東部分を手中に収め続いて
アナトリア西部を支配していたリュディアを破ってアナトリア全域を支配。
7、その後ペルシャ王朝をマケドニのアレキサンダー大王が駆逐して帝国を興し、
アナトリアを通って東征しインダス川まで征服。
8、アレキサンダー大王の後継者争いが勃発し、その頃に古代オリエント文明と
古代ギリシャ文明がお互い影響し合い起こった文化をヘレニズム文化として
アナトリアに彩を与えました。
9、そして皆さんもよくご存知のローマ帝国時代(紀元前130年〜)
キリスト教徒の流入と西暦330年にローマ帝国皇帝コンスタンティヌスが
ボスボラス海峡両岸のイスタンブールの地に首都を移し
「コンスタンティノープル」と名付けキリスト教
を認め布教が活発になりました。
10、西暦400年ごろ、ローマ帝国はギリシャの西ローマ帝国と
東ローマに別れ、トルコ側(東ローマ帝国)をビザンツ帝国と
呼ばれるように。
11、西暦550年に、アルタイ山脈のモンゴル系民族の一つテュルク族が
勢力を伸ばしモンゴル高原に突厥可汗国が勃興しこれがトルコ民族の
始まりとされています。
その後トルコ騎馬民族のうちウイグル族が独立し騎馬民族国家を
樹立したのが西暦700年ごろ、そしてトルキスタンに定住しました。
そして10世紀初めトルコ系民族によりキルギスにイスラム教を
受容した国家を建国。
12、現イランにトルコ系民族による、セルジューク朝が興り、
ビザンツ帝国を攻防の末破り、アナトリアにトルコ系民族が流入し、
西暦1077年、セルジューク朝から独立し、アナトリアのイズニックに
初めてトルコ系民族による王朝が建国され、
ルームセルジューク朝と呼ばれる。
この王朝が現在のトルコの基礎となる。
13、西暦1300年頃、激しい攻防を繰り返していたビザンツ帝国と
アナトリアの王侯達との戦いに終止符が打たれ、オスマン帝国が勃興する、
現在のイスタンブールにある多くの、宮殿やイスラムモスクは
この時代の歴代のスルタンにより多く建設された。
14、西暦1900年代、第一次世界大戦に負けたオスマントルコ帝国は、
西欧列強により分割支配されトルコ国自体の存続の危機を迎える。
オスマントルコ軍部司令であった、ムスタファ・ケマルアテテュルクは
革命を指揮し、祖国解放戦争により西欧からトルコを死守し比類なき
革命を経済・制度・政治・法律・文化・教育の面で改革を断行し、
近代トルコの父となります。
トルコ共和国の初代大統領となったムスタファ・ケマル・アテテュルクは、
政教を分離し「世俗主義」公共でのイスラム教の影響を抑え、近代産業改革、
初等教育の義務化、アラビア文字からラテン文字を採用したトルコ語改革、
国民全員が姓を持つ創姓改革、そして女性が参政権を持つ改革など、
現在にも通用するグローバルスタンダード国家への道を開いた
偉大なる革命者です。
流石、ヨーロッパとアジアの接続地ゆえ、激動の歴史を持つトルコです。
次回のブログでは、トルコの観光と日本の移住がどう関係しどんなヒントがあるのか
お話したいと思います。
長々とお付き合いありがとうございました。
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