仕事の関係で名古屋にはよく行きますが、今回ゆっくり名古屋城に見学に行ってみました。
”名古屋城一口メモ”
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が、豊臣方への備えとして加藤清正、福島正則ら西国大名20家に普請を命じ、1610年~1615年に築城し、尾張初代藩主として家康の九男の義直が入り、以降名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。今から400年ほど前に建てられました。
※《天守閣》昭和5年(1930)国宝に指定 → 昭和20年(1945)名古屋空襲でほとんどが焼失 → 昭和34年(1959)天守閣が再建される(鉄骨鉄筋コンクリート造)
※《本丸御殿》昭和5年(1930)国宝に指定 → 昭和20年(1945)名古屋空襲でほとんどが焼失 → 平成30年(2018)9年がかりで復元される(木造)
公共交通機関を使えば、地下鉄「市役所駅」の階段を上がるとそのまま直通です。「金シャチ横丁」があり、いろいろな店舗が来場者を迎えます。
通り抜けると東門につきます。入場料を支払います。大人は500円
二之丸広場をを過ぎたところに加藤清正の像(石曳きの像)があります。徳川家康から城の普請を命じられた大名の一人です。このころは機械もなく石を運んだり、木を運んだり本当に大変なことだったと思います。
本丸表二之門を入ると、いよいよ本丸御殿と天守閣です。
名古屋のシンボル!天守閣。 どっしりして風格を感じます。
まず、先に天守閣を見学!と思ったら、現在は耐震性が低いことから閉館中でした。残念!
そのため外から天守閣を一周廻ることに。裏に回ると金の鯱(しゃちほこ)が良く見えました。昭和20年(1945)名古屋空襲でほとんどが焼失し、天守閣もろとも金鯱も焼失してしまい、現在は2台目の金鯱が復元された名古屋城の天守閣を守っています。
※鯱は空想上の生き物で水を呼ぶと云われていることから火除けのまじないとされています。もともとの鯱は慶長大判1940枚の金が使われ徳川家の権力、財力の大きさを知ることができます。2代目の鯱は雄、雌の対で、一体の大きさは、高さ約2.6m、重さ約1.2tで、金板の種類は18K、金(18K)の使用料は約44㎏使われており、天守閣の頂上で燦然と輝いていました。天気が良いこともあってまぶしかったです。
ぐるっと回って元に戻り、本丸御殿の内部見学です。平成30年に復元が完成した木造平屋建ての書院造り。江戸時代の資料を基に400年前の築城当時のままに細部まで復元されました。13棟の建物があります。
「玄関」この広さで玄関です。対面を待つ部屋で2部屋あり合計で48畳です。四方に竹と虎が描かれています。
「表書院」正式な謁見に使われ、本丸御殿内で一番大きい建物5部屋あり合わせると126畳!権力の大きさを感じます。
「上洛殿」三代将軍家光の上洛に合わせて増築された建物で6部屋あり、全部で106畳。細部まで豪華絢爛に造られています。天井の板絵、襖絵、豪華な彫刻の欄間など贅の限りを尽くしていますね。
廊下も見事です。《廊下の天井》目の保養になります。それにしても400年も昔の人たちの技術力に圧倒されますね。復元も大変だったと思います。
ぐるっと回って「上御膳所」食事をするところでしょうか。
本丸御殿の見学を終わりミュージアムショップに寄ってみました。一番高級な飾り。限定品がたくさんあります。
Tシャツなどもあります。
こんなタイピンもありましたが。ちょっと恥ずかしい感じ。
マンホールも名古屋城バージョンでした。
しっかり見学できた名古屋城。復元ですが外部、内部の細かな装飾に9年もかかって工事されています。絶対見る価値ありでした。お近くにいらしたらアクセスも良く、わかりやすい立地ですので是非名古屋方面に出かけてみてください。
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