不眠不休
今回の東北の大地震は、被害状況が明らかになるにつれ、その被害の大きさが次第にわかりつつあり、思った以上に大災害だったようです。
沢山の犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。
弊社「日本マウント」の社員は、地方に出張にでかけていたものが多く、その安否を把握するのに一苦労しました。
携帯電話が繋がらず、メールのやりとりも時間差が生じてしまったためです。
こういう経験をすると、普段、何気なく使っている携帯電話やメールのありがたさに気づくものです。
結局、その日の夜中になっても連絡が取れなかった社員もいました。
出張先から自宅に帰れたのが、翌朝になった社員もいました。
また、会社から徒歩で帰った社員の中には、6時間以上歩き、夜中の2時頃にやっと自宅に着いた社員もいたのです。
会社や私のアパートの宿泊した社員は、翌日になってもなかなか交通手段が復旧せず、翌日の午後にやっと自宅に帰れた社員もいました。
いずれにしても一人の社員も大事に至らなくて幸いでした。
しかし、被災地ではいまだに孤立して救出を待っている人々がまだ沢山いることを思うと、私たちが経験した今回の苦労などは無いに等しいものだった思うのです。
私も普段は規則正しい生活をしているため、夜は早く寝ることが習慣になっているのですが、流石に今回は緊張感もあってかほぼ48時間不眠不休の生活を体験しました。
ツイッターなどに刻々と現地での救出を叫ぶつぶやきや励ましたり勇気付けるつぶやきが、タイムラインに流れ続けていたので、とても休む気持ちになれなかったのです。
48時間ぶりに床に就いたときは、朝まで死んだように眠りこけました。
改めて、寝食が許されていることがどれほど恵まれていることであり、感謝するべきことであるかを感じたのです。
被災地の皆様のために、私たちができることは、たとえどんな小さなことでもさせていただきたいと思います。
民族大移動
大地震があったときのことです。
東京は建物の倒壊というものはほとんどありませんでした。
しかし、最大の被害はなんといっても、世界に誇れる便利な交通手段や通信手段が、一網打尽にされてしまったということです。
電車は地下鉄も含めてすべて止まってしまったのです。
車は大渋滞となり、まったく動かない。
歩くのより遅いくらいとなってしまったのです。
しかも携帯電話はおろか、固定電話ですらまったく通じない、まさしく役に立たないおもちゃのようになってしまったのです。
ですから唯一の交通手段、通信手段は歩いて移動することになってしまったのです。
弊社は品川区の第一京浜道路沿いに事務所があるのですが、多くの人はその道路をせっせと歩くことが、川崎や横浜方面に移動するのに一番簡単であり、また当時その方法しかなかったのです。
二階にある事務所の窓から見る光景は、ある意味、異常なものでした。
沢山の人間がひたすら移動し続けるのです。
それが終わらないのです。
まるで終わりのない、エンドレスのように感じるほどでした。
しかも小競り合いのようなトラブルがなく、誰かにリードされてそのルールの中で移動しているがごとくだったのです。
ちょうど、旧約聖書に出てくるイスラエルの民が、モーセに導かれて出エジプトをし、紅海を渡るがごとくといったらいいのでしょうか。
まさしく「民族大移動」
目的地まで何時間もかけて、時には道を譲り合いながら、また時には助け合いながら、ひたすら歩き続け移動する光景に、なんともいえない感動を覚えたのです。
そこに日本はまだ捨てたものではないという、かすかな希望の一端を垣間見たような気がしたのです。
大地震の恐ろしさ
品川区にある弊社「日本マウント」がある事務所のビルもかなり大きく揺れました。
すぐ目の前にある第一京浜道路を通行していた車もすべて止まるほどの揺れでした。
東北地方を中心に全国各地で大きな被害がありましたが、犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。
東京での被害はなんといっても交通が麻痺したことです。
電車はほとんど止まり、復旧は遅れました。
道路は激しく渋滞して多くの車が立ち往生したのです。
弊社の社員も身動きがとれなくなり、徒歩で何時間もかけて家に帰るという社員が続出しました。
電話や携帯電話も繋がりにくくなり、地方に出張に行っている社員と連絡が取れずに大変心配しました。
驚いたのはツイッターの威力です。
まったく普通に作動し、連絡を取り合うことができたのです。
徒歩では帰れないほど家が遠くにある社員のために、会社の近くのホテルを押えようと社員が飛び歩いてくれたのですが、このときの連絡の手段としてツイッターが活躍したのです。
結果的にホテルはどこも満室で、男性社員は会社で一夜を過ごすこととなりました。
女性社員は私が住んでいるアパートを開放して難を逃れることができたのです。
しかし余震はまだ続きそうですし、今後も被害が拡大する可能性があり、予断を許すことができない状況です。
このような危機のときこそ、お互いに助け合って、この危機をこ乗り超えなければならないのです。
利他の精神を以って、一日も早い復興を成し遂げましょう。
シンプル&カジュアル
日経産業地域研究所の「ファッションブランド意識調査2011」による調査結果が発表されました。
衣料品の人気首位は「バーバリー」
2位は「ユニクロ」
女性用バッグ1位は「コーチ」だったそうです。
ファッションで大事にしたいキーワードは「シンプル」と「カジュアル」が支持を集めたとのこと。
どうやら着こなしへの取り入れやすさが支持を集めるカギのようです。
ブランドや価格帯にこだわらず、自分のセンスで上手にコーディネートできるという人が増えているということでしょう。
この「シンプル」と「カジュアル」というキーワードは、なにもファッション業界だけのものではないようです。
リゾート物件や田舎暮らし向き物件のみならず不動産を取り扱って思うことは、今の時代やはり「シンプル」なものが人気があるし売れているということがわかります。
複雑な地形や間取りよりも、シンプルの地形や間取りの方が圧倒的に売れているのです。
「カジュアル」も同様です。
弊社「日本マウント」はインターネットに特化した広告宣伝方法で集客しているため、最初にホームページを作るときに、実はいろいろと研究したのです。
セミナーに参加したり、本を読み込んだりしたのです。
そこで得た結論のひとつが、どちらかというと「カジュアル」なホームページの方が、プロが作った見てくれがいい、いわゆる「エレガンス」なホームページよりも圧倒的に集客力があるということだったのです。
今の日本マウントのカジュアルチックな独特のホームページができた理由です。
シンプル&カジュアル
どうやらこの潮流は、ファッション業界だけではないようです。
業界紙に掲載されました。
週刊住宅という、不動産や住宅関連の業界新聞があります。
先日、私が参加する不動産・住宅専門のWeb勉強会の講師の先生の紹介ということで、週刊住宅の記者が弊社に取材に訪れたのです。
3月7日にその週刊住宅という業界紙に記事として、弊社「日本マウント」が掲載されました。
かなりのスペースを割いて記事にしていただきました。
本当にありがたいことです。
身に余るほど素晴らしい文面で、弊社のことを紹介していただいています。
今の弊社の実力や内容以上に評価していただいていると感じるほど、素晴らしい文章で的を得た紹介になっており、改めて記者の方の文章力や表現力に感心するものでした。
早速、今後の販促などにも使わせていただきたいと思っています。
そして何よりも、記事に内容にふさわしい会社として、更に成長していかなければならないと強く思ったのです。
弊社が益々、発展することが、記事してくださった記者の方や、その記者を紹介してくださったコンサルタントの先生に対する恩返しになると思うのです。
つくづく思うことは、実力以上に評価されることほど恐ろしいことはないということです。
どこまでも謙虚にならなければならないのです。
もう一度、原点に帰って、初心忘れるべからずの精神を貫くのです。
お客様を喜ばせたいという動機。
お客様を喜ばせるという目的。
そのために凡時徹底、そして凡事一流。
今日からまた、お客様の笑顔のためにベストを尽くしたいと思います。
ゲーセンに高齢者が
ゲーセン。
ゲームセンターの略です。
ゲーセンといえば昔は中高生の溜り場でした。
今はこのゲーセンには中高生はほとんどいません。
今や必需品となったスマートフォンとやらでオンラインゲームを楽しむのようになってしまったからです。
かわりにこの「ゲーセン」にたむろするのが、高齢者になっているというから驚きです。
都内のあるゲーセンでは畳敷きの縁台にこしかけ、温かいお茶をすすりながら、和やかに談笑する高齢者の姿が目立つ光景が当たり前だそうです。
中にはおにぎりなど持参し、朝から夕方まで楽しんでいく常連も珍しくないとか。
「一人で家にいるより、明るい場所でお友達とゲームをするほうが健康的でしょ」
バスで片道20分の道のりを毎日通っているという80代の女性の言葉です。
業者の話によると、一日に3000円程度使う高齢者が多いそうです。
少子化や娯楽の多様化で経営環境が厳しいゲーセンにとって、高齢者が救世主となりつつあるのです。
捨てる神もあれば拾う神もあるのでしょうか。
真面目にやっていれば、ゲーセンのようにどこからとなく救世主が現れることがあるのです。
幸運にも予期せぬ展開になることが、ビジネスや人生にはつきものなのです。
多くの成功した経営者がその原因の筆頭に挙げるのが、運が良かったという統計結果を見てもそのことを実感するのです。
運に恵まれる人生を送りたいものです。
廃校転じて「福祉」となす
廃校転じて「福祉」となす。
以前に日経新聞に載っていた記事のタイトルです。
うまいこと言うなぁと思ったので少し紹介したいと思います。
「少子高齢化」
これはもはや避けられない時代の潮流です。
いろいろな問題があるかと思いますが、一つは子供の数が少なくなることよる学校の廃校の問題です。
そして高齢者が多くなることによる、施設や住居の不足の問題なのです。
この二つの問題をうまくマッチングすることに成功した事例です。
廃校になった小学校を品川区が、ある社会福祉法人に無償で貸したのです。
その社会福祉法人は、教室を2つに仕切って42の個室に、広い理科室は食堂に、トイレは浴室に改装したのです。
こうして出来上がった高齢者向け賃貸住宅は、JR駅から徒歩4分の好立地にもかかわらず、利用者負担が他の施設より月額5万円ほど安くなったというのです。
この現場を中国の介護研究の第一人者が見学して、目を輝かせて驚いていたそうです。
というのは一人っ子政策などの影響ですでに65歳以上の人口の割合が8%を超える中国にとって、少子高齢化の問題は人事ではないからです。
世界から見れば先駆けて少子高齢化が加速する日本は、今や完全な成熟国家。
そういった意味で世界の先頭を走る日本の手法を、世界が注目しているのです。
今後、日本の使命の一つになることでしょう。
カンニング事件に思う
世間を騒がせている「カンニング事件」
逮捕された仙台の予備校生も、こんな騒ぎが大きくなるとはよもや考えてもいなかったことでしょう。
インターネット全盛の時代だからこそ出来たカンニングの手法だったのでしょうが、逆にそのインターネットが仇となり騒ぎが大きくなったのが何とも皮肉な結果です。
今や不正はけして隠すことが出来ない時代。
少し前の話になりますが、食品偽装や介護保険の不正受給なども、内部告発なども含めてやはりインターネットによる情報公開が騒ぎを大きくし社会問題にまで発展したのでした。
恐らくと当時の問題となった会社の張本人も、やはりあれほどまでに問題が大きくなるとは考えていなかったに違いないのです。
今回のカンニングの張本人は、友達に話によればカンニングなどしなくても十分、合格するだけの実力があったというから、今頃きっと後悔していることでしょう。
カンニング防止に関してマスコミは騒ぎ立てていますが、私はもっと違うところに問題があると思うのです。
善悪をしっかりと教えること。
損得よりも善悪を優先することの重要性を教えるのです。
損して得を取れとは商人道の教えですが、もちろん人生にもあてはまります。
急がば回れという言い回しもありますが、人生とは正しいことをするものが最後には必ず勝つということを、大人が子供にしっかりと教えるべきだと思います。
損するように見えてもそれは損ではないことを。
負けたように見えてもそれは負けではないことを。
「先義後利」という言葉がありますが、やはりそういったことをしっかりと教えるべきだと思うのです。
これからの時代、とくにそのことが大切だと感じます。
ジャスコが消滅する日
ジャスコ、サティという名前で親しまれてきた総合スーパーが「イオン」に統一されることになったそうです。
したがってジャスコやサティという屋号は消滅するのです。
知名度は高いブランドだっただけに一抹の淋しさがありますが、これも時代の流れなのでしょうか。
そういえば「ナショナル」というブランドも消滅し、「パナソニック」に一本化されたのも記憶に新しい出来事でした。
またファミリーレストランの先駆けであった「すかいらーく」も消滅し、「ガスト」に一本化されたことも思い出しました。
企業というものは時代の変化に対応するのに、社名を変えたり屋号を変えたりして、新たなイメージやブランドを創るのが常套手段なのでしょう。
相変わらず企業の合併も次々に進んでいますし、今回のような同じ企業内での屋号の統一なども今の時代の主流なのかもしれません。
やはりシンプルな方がいいのでしょうか。
コンビにも再編が加速していて、弊社「日本マウント」の会社の近くの「am/pm」もいつのまにか「ファミリーマート」の店舗に変わっていました。
「変化こそ普遍の真理である」
形あるものは必ず変わるということなのでしょう。
時代は必ず変わり、流行は刻々と変化し続けるのです。
僅かな変化も敏感にキャッチでき、それに対応できる柔軟性が求められるのです。
「強いものではなく変化に対応できるものが生き残る」
ダーウィンの言葉が頭を過ぎります。
駅伝名門校
長野県の佐久地方に私立「佐久長聖高校」という高校があります。
今や言わずと知れた高校駅伝名門校です。
都大路における全国高校駅伝での優勝、準優勝、入賞の常連校として、年末のテレビによる駅伝中継ではもはやその活躍は見慣れたものとなりました。
圧巻なのは正月の箱根駅伝での卒業生の活躍です。
今年の箱根駅伝では活躍する選手の映像が出るたびに、その卒業校の名前で「佐久長聖」という文字が何度となく登場していました。
実はこの佐久長聖は最初から強かったわけではありません。
長野県はもともと駅伝後進県だったのです。
私が長野県代表として都大路で走った2年間は、その順位は恥ずかしながら下位の方でした。
当時は圧倒的に九州や四国勢が強かったのです。
いわゆる西高東低というやつです。
冬は寒さが厳しく雪も多い長野県や東北よりも、温暖な気候で冬でも十分トレーニングができる九州や四国地方が強いのは当たり前という風潮があったのも事実です。
では何故この佐久長聖が強くなったのか。
専用グランドがなく部員がいないという中で監督に赴任したのが「両角速」さんです。
箱根駅伝や実業団駅伝での活躍を買われて、5年以内での都大路出場を期待されて、無理だと思いながらも、両角監督はグラウンド作りから始めるのです。
石を拾い、草を刈って慣らして苦心して造ったグラウンドは、一周600メートルの最大70メートルも高低差があるクロスカントリーコースとして結果的に偶然生まれたものだったのです。
両角監督は自ら選手獲得の宣伝のため「佐久長聖」というロゴが入ったユニホームを着て、現役選手として各種大会に参加することもしたのです。
そんな中で集まってきた選手は、最初は卓球やバスケットボールの選手だったとか。
しかしほぼ全員が寮で過ごす中、毎日ミーティングを重ね、徐々に強くなっていったのです。
それはプロ野球の野村監督やマラソンの瀬古選手を育てた中村監督に似ています。
すなわち人生観を教え、礼儀やマナーなどの人間としての基本を教えたのでした。
4年後に都大路初出場4位入賞という快挙を達成して以来、連続出場、常に優勝争いに絡み、ほとんど入賞するという、まさしく「名門」として駅伝界に君臨することとなったのです。
今年から母校の東海大学で駅伝部の指揮を取ることになったという両角監督。
正月の箱根駅伝の楽しみがまた一つ増えました。