営業マンブログの快進撃は続く
最初は冗談で言っていたというのが、正直、本当のところです。
アメブロの営業マンランキングで5位以内を目指そうということです。
ところがついに5位になってしまったのです。
2日間続けたのでフロックではないと思います。
順位を上げることが目的ではありません。
ブログからホームページへ流入してもらうことが大切なのです。
この流入も1年前に比べれば凄い勢いで増えているのです。
ブログ戦略は成功しているといえそうです。
ブログのアクセス数が加速度的に増えているのも、ツイッターの効果が大きいと思います。
相乗効果をもたらして、ホームページのアクセス数に貢献していると思われます。
まさしくブログとツイッターは最強コンビになりつつあります。
弊社「日本マウント」の営業戦略は、ランチェスター戦略とソーシャルメディア戦略の2大戦略なのです。
もう1年以上前から、このことを毎日のように言い続けていますが、ようやく営業マンが理解してその戦略にのっとった思考と行動ができるようになってきました。
私はいよいよフェイスブックを始めました。
リゾート物件や田舎暮らし物件を手がける不動産会社としてソーシャルメディアを極めること。
これが、弊社「日本マウント」の挑戦です。
アズ ユージュアル
「アズ ユージュアル」。
イギリスの元首相、ウィンストン・チャーチルの言葉です。
どんな異変が起きても、慌てずに平然と普段どおり行動することの大切さを教えた言葉です。
第二次世界大戦で、ナチスドイツに翻弄されながらも、最後はイギリスを勝利に導きました。
3.11の震災の後でこの言葉が注目されたのです。
私にはこの言葉を聞くと思い出すことがあります。
プロ野球ファンであれば誰もが知っている、1989年のプロ野球日本シリーズ巨人対近鉄の戦いです。
近鉄が3連勝し大手をかけたこのシリーズで、近鉄の加藤投手の「巨人はパリーグ最下位のロッテより弱い」というような発言に奮起した巨人がその後、力を爆発させ4連勝しシリーズを制したという有名な話です。
この加藤投手の発言が得にクローズアップされていますが、実はもっと注目すべき点があるのです。
3連敗となり、後がない崖っぷちの巨人は、第4戦目は当然エースである斉藤投手が先発するものと思われていたのです。
たとえ第1戦で投げているとはいえ、負けたら終わりという場面だっただけに、多くの専門家もエースの繰上げ再登板を予想したわけです。
しかし、当時巨人の藤田監督はローテンション通り、香田投手を登板させたのです。
まさに「アズ ユージュアル」。
この香田投手が近鉄打線を完封し、シリーズの流れが変わりました。
結果、3連敗の後の4連勝で巨人が日本一に輝いたのです。
絶体絶命の危機に瀕しても、普段通り戦ったことが、最大の勝因だったのです。
アズ ユージュアル。
この言葉を憶えておきたいものです。
猛暑との闘い
心頭滅却すれば火もまた涼し。
なかなかそのような心境になるのは難しいものです。
日曜日は猛暑でしたが、冷房がないビルの中での仕事は大変でした。
皆さんは暑さ対策はどのようにしているのでしょうか。
弊社はビル全体で空調を管理しているため、土曜日や日曜日は前日までに申請をしなければ、基本的には冷房が効きません。
また、申請をしたとしても高額の別料金が請求されてしまうため、契約や決済などでお客様が来社するとき以外は、我慢してきたのです。
なんともけち臭い会社かと思われますが、節電にも協力できるし、経費節約にもなり一石二鳥だと思っていたのです。
が、先日の猛暑の日曜日に私も出勤し、デスクワークに汗を流しました。
現実の本当の汗を流したのです。
まだ7月の初めです。
この先、いったいどうなってしまうのでしょうか。
サウナのような灼熱地獄が待ち構えているのでしょうか。
汗をたっぷり流し減量をと企てる方にはこれ幸いかもしれませんが、他の社員は来るべき地獄を予測して戦々恐々としています。
これは早急に何か対策をしなければなりません。
実は隠し玉があるというのか、とっておきの秘策を考えています。
近いうちにこのブログでも公表したいと思います。
ご期待ください。
選択と決断
人生は選択と決断の連続です。
得にリーダーや経営者になればなおさらでしょう。
選択することが仕事であり、決断することがまさしく仕事そのものなのです。
しかし、その選択が正しかったのか間違っていたのかの結果は、直ぐに出ないことが多いのです。
何ヶ月か先のこともあれば、何年も先になってしまうこともあります。
だからといってその決断に時間をかけたり、それを延ばすことができないのが現代なのです。
まさしく今は、あまりにも時の流れが速いからです。
たとえ選択が間違ったとしても、その決断を直ぐにくだすことができなければリーダーになることはできません。
迷ったり、先送りしたり、立ち止まることは、後に続く多くの者たちを不安にさせるだけだからです。
万一、間違ったと気がついたら、直ぐに軌道修正すればいいのです。
今の時代、朝令暮改は当たり前です。
柔軟性こそ問われる時代だからです。
そう考えると、昨日のブログで紹介したお客様の選択と決断は見事なものでした。
古民家再生か新築かという選択で心が揺れたことでしょう。
恐らく、清水の舞台から飛び降りるような心境で決断されたことでしょう。
その選択が吉と出るか凶と出るかは、今すぐにはわからないでしょう。
いずれ時が経てば明らかになるのです。
しかし、私は断言できます。
正しい、そして素晴らしい選択をしたのだと。
それは、オープンハウスに来た近所の皆さんの笑顔やその目の輝きを見ればわかります。
自分たちの誇りのように思っているからです。
お年よりの方は昔を懐かしみその心はタイムスリップし、瞳は少年時代のような輝きを放っていました。
子どもたちは、まるで生きた歴史の教科書を見るように、感動し興奮していたのです。
「明日、また来るね」。
こう言い残して帰っていかれたご近所の方々。
こんなコミュニティーがあったのかということに驚き、いまだかつて見たことのない、温かなオープンハウスの雰囲気に感動しました。
日本の古き良き美と伝統が、より良いカタチになって、次世代そして未来へと受け継がれていくのです。
私は今回、あまりにもドラマチックな「選択と決断」を見せて頂きました。
本当にありがとうございました。
古民家再生住宅
かねてからこのブログでもご紹介し続けてきた古民家のその再生リフォームがついに終わりました。
そして、完成オープンハウスを見学してきました。
見事に生まれ変わったその姿は、あまりにも眩しく輝いていました。
このすっかり生まれ変わった古民家の主である家族との久しぶりの対面も果たせました。
この物件を購入したときは3人家族だったのが、今は4人に増えて。
思えば1年近くも前のことです。
いくつかある候補の一つとしてこの物件に興味を持っていただき、私が案内したのが始まりでした。
何回も見に来て、迷って、リフォーム会社を自ら探して、銀行と折衝してと、幾つもの高いハードルを一つひとつ越えてきたのです。
途中、出産という人生の大事業の一つを成し遂げました。
震災という本当に大きな障害とも向き合ったのです。
リフォームの材料が入荷しないというアクシデント。
たくさんに家が津波で流され、多く人が命を失い、また多くに人が家を失い、自粛ムードが世の中を蔓延する中で、こんなときにという良心の痛みもあったことでしょう。
それらの様々な困難を乗り越えて、今ここに日本の宝である素晴らしい古民家が、まさに新しい命を得てその姿をあらわにしたのです。
感動するとはこういうものだと思いました。
この再生した古民家の僅かでもその歴史を知っているものとして、感慨深いものがありました。
ご家族の笑顔がとても素敵でした。
施工した建築会社のK社長が偶然知り合いだったのも、何か運命じみたものを感じました。
お互いに昔の苦労を知っていただけに、この古民家が出会わせてくれた再会はとても嬉しいものでした。
満身創痍で完成させた古民家は、その完成とともに、今後の仕事での未来の夢に繋がる粋な演出をしてくれたようです。
きっとこの素晴らしい古民家で過ごす時間は、このご家族の幸せなひとときとなることでしょう。
近くに来たときには、また寄り道したいと思います。
小さな子ども二人の成長も楽しみです。
下半期がスタートしました
7月1日は下半期のスタートです。
ゆっくりと上半期の反省をしている暇はないと思いますが、やはり一つの大きな区切りであることには変わりはありません。
今年の前半は震災の影響がかなりありました。
リゾート物件や田舎暮らし物件でも比較的に標高が高い内陸の物件は、やはり厳しい寒さや大雪にも見舞われることが多いので、冬の期間は動きが鈍いのです。
そのかわり、冬でも温暖な気候である海側の物件が、冬から春にかけては動くのです。
3月の震災でこの一番売れる場所が壊滅的被害を受けてしまいました。
3月4月の2ヶ月間は散々な実績でした。
こんなときに不動産という買い控えや自粛もあったことでしょう。
いまだに海側は苦戦していますが、逆に山側は絶好調となっています。
弊社以外でもその傾向は顕著のようです。
山梨県北杜市の清里を中心とした八ヶ岳南麓で新築別荘を販売するある会社は、5~6月の2ヶ月で新築別荘の建築請負件数が12棟に達したそうです。
この会社の年間請負は10~12棟というから驚きです。
わずか2ヶ月で年間受注件数を達成したわけです。
まさに追い風そのものですが、果たしていったいいつまで続くのかは疑問です。
私の予想ではこのまま今年いっぱいはこの追い風は続くと思うのですが、やはり冬になれば例年通り、温暖な海側にお客様は戻ってくるでしょう。
だからこそ、未来への種蒔きは怠ってはいけないのです。
下半期は思いっきり追い風に乗りながらも、来るべき次の風向きを予想して、しっかりと準備する下半期にしていくつもりです。
この夏、猛暑の予感
今日から7月ですが、先月6月の最中、既に猛暑日を体験しました。
節電の影響もあってか、弊社「日本マウント」の事務所も扇風機を回して、暑さをしのいでいます。
最近では、年を追うごとに夏の暑さは尋常ではなくなってきている印象があります。
異常気象も当り前なのでしょうか。
今年も猛暑の予感がしてならないのです。
そこへきての節電です。
果たしてどんな地獄が待っているのでしょうか?
しかし、この試練を乗り越えれば、きっとかなり逞しくなるのかと思うと、少しは前向きな気持ちになるのかもしれません。
抵抗力は徐々についていくものなのです。
いろいろな智恵をめぐらせて、暑さに挑んでいくのも楽しみがあるというものです。
人間はプラス発想が大事なのです。
コップにもう半分しか水がないと思うよりも、まだ半分あると思うことの方が前向きになれるのです。
最近は、早朝ウォーキングでもたっぷり汗をかくようになりました。
半身浴でかく汗よりも、きっと健康的なのかもしれません。
考えてみたら、7月生まれの私は夏男なのです。
夏は調子も良く、運勢に乗れる季節なのです。
リゾートもいよいよ本格的なシーズン真っ盛りとなります。
今年はいったいどんなドラマが待っていることでしょうか。
今から楽しみです。
岡本太郎
出張で宿泊したホテルで偶然に観たテレビ番組。
岡本太郎の一生を描いたドラマでした。
大阪万博の象徴であった「太陽の塔」はあまりにも有名です。
奇抜なカタチをしたその巨大な塔は、当時、一般に人にはなかなか理解できないものでしたが、世界と歴史は素晴らしい芸術として評価したのです。
まさしく、岡本太郎は天才だったのでしょう。
偉人や天才には必ずといっていいほど、陰ながら支えた女性の存在があります。
それが母親だったり妻だったり、あるいは愛人だったり、人それぞれではありますが、そういう女性が存在していたことは数々の歴史が証明しているのです。
この岡本太郎もまた例外ではありませんでした。
秘書であり、後に養女となる「敏子」がその人です。
天才「岡本太郎」は、この敏子さんの存在なくしては語れません。
文字通り、二人三脚の活躍で、その作品を世に残し、数々の偉業を成し遂げていくのです。
晩年の病気や挫折の際にも、この敏子さんの支えがあって、乗り越えていくのです。
人間は一人では生きていけません。
そして、ある意味、弱いものです。
孤独はたとえ天才とて乗り越えることができない、最大にして最強の敵なのです。
だからこそ必要なのが、たとえそれぞれ立場は違ったとしても、その天才を生み変え育むことができる女性であり、その力なのだと思うのです。
そのことを、このドラマを観て強く感じたのでした。
再会のときには
最近、十数年ぶりにある人と再会することができました。
予期せぬ再会でしたので、びっくりしました。
不覚にも、私は最初は気付きませんでした。
相手の人から指摘していただき、みるみる記憶がよみがえってきたのでした。
元気そうでしたし、確かに苦労もあったことでしょうが、今は幸せそうに見えたのでこちらも嬉しくなりました。
と同時に、相手の目には私はどのように映ったのか気になったのです。
人生にはいいときもあれば悪いときもあるでしょう。
しかし、たとえ山谷があったとしても、少しずつでも良くなっているのが理想だと思うのです。
それこそ十数年ぶりに再会したときに、成長してとか立派になったとか思ってもらえる自分になっていることに、人生の醍醐味を感じるのです。
少なくとも、私はそんな人生を綴りたいと思います。
落ちぶれてしまったとか、輝きを失ってしまったとかと思われるような下降線はたどりたくありません。
過去の栄光にすがる姿こそ惨めなものはないのです。
昔の自慢話ほど聞きたくない話はないのです。
常に未来を見つめて、前進する。
そして、日々たとえ少しでも成長する。
そんな人生を歩みたいと思いました。
最近、十数年ぶりという再会が多いのは、私が成長するための良きプレッシャーになっているような気がします。
過去を振り返らず、絶えず前を見て、日々、ベストを尽くしたいと思います。
愛の力とは
日経新聞のスポーツ欄に掲載されていた、あるコラムの内容です。
サッカーを題材とした短編映画の中でのひとコマ。
大事な決勝の舞台で主人公がいる少年チームは緊張のあまり、普段の力をなかなか発揮できなかったというのです。
相手の選手の方が大きく見えるし、試合前にぴかぴかの優勝カップを見たのもいけなかったかもしれないと考えるほど緊張していたのでしょう。
前半はリードを許し、折り返すことになったのです。
そのとき、平常心を取り戻させるためにハーフタイムで監督が子供たちにかけた言葉が洒落ています。
「この間も負けていた試合を逆転できただろう。なぜだ?俺たちには(サッカーへの)愛があるからだ!」。
著者はこの叱咤に驚き、思わずのけぞったそうです。
「闘え」「頑張れ」ではなかったからです。
私は「愛」の力というものを信じます。
愛には所有する力があると信じているのです。
まだ社長になる前のことですが、誰よりも会社を愛し、誰よりもこの仕事を愛しているという自負がありました。
だからこそ、休日を返上してまで他の誰よりも働きました。
そして、年に何回か休日に出勤し、一人で自主的に心を込めて、丸一日かけて事務所を掃除することを実行しました。
蛍光灯の一本一本から電話のコードに至るまで丁寧に汚れを拭き取ることをしたのです。
愛を行動で示したわけです。
イチロー選手が誰よりもバットやシューズを大切にし、心を込めて自ら手入れをすることと通じるものがあると思います。
その後、私は社長に抜擢されることになります。
能力を超える力がすなわち愛の力であると思うのです。
私はその力の存在を信じます。