猛暑は去ったのか
以前にブログで書いたこともありますが、弊社「日本マウント」が入居しているビルは、土曜日や日曜日は基本的には冷房が効きません。
個別に空調をお願いすると、莫大な別料金を支払わなければならないため、どうしたらいいのか頭を抱えていました。
基本的に土日は事務方は休みで、営業マンも理想は案内や調査で会社にいない方がいいのです。
しかし、メールや電話対応だけはやはりやらなければなりません。
そこで、以前に事務所の一つとして借りていたマンションの一室に電話を転送して受けることにしたのです。
ここは、単身赴任の私のねぐらでもありますが、昼はほとんど使っていないのと、荷物らしきものもほとんどないため、夏の間の土日だけ以前のように事務所として使うことにしたのです。
9月末まではそうした体制にしようとしたところ、昨日の土日は最高気温が27度くらいと予想されたため、冷房の必要もないと考えて、通常通り事務所で電話やメールの対応をしました。
このまま涼しくなるのでしょうか。
残暑は厳しくないのでしょうか。
気になるこの8月末、9月の天気予報です。
消費電力オーバーによる電力不足が懸念されたこの夏は、どうやら日本全体の節電意識も浸透し、乗り切ったのではないかと思われます。
少し暗い駅ホームやスパーやコンビニなどの店舗にも慣れたきたようです。
かえって明るすぎる店舗などには共感することができません。
節約癖が日本全体に定着すれば、それも一つの進歩なのでしょう。
このまま涼しくなることを期待します。
歴史は繰り返すのか
私の幼い頃、近所によく八百屋さんが車に野菜を積んで売りにきました。
我が家では早朝、よくその八百屋さんから野菜を買ったものでした。
時代は進み、スパーマーケット全盛の時代になり、やがて近所からその移動販売はおろか八百屋さんの姿すら見えなくなりました。
今、その全盛を誇ったスパーマーケットが苦戦し始めています。
変わって主役になろうとしているのが コンビニエンスストアーいわゆるコンビニです。
最近のコンビニは生鮮3品までも扱う、まるで昔の八百屋や魚屋さんのようなものまであります。
そして、ついに移動販売まで始めたらしいのです。
それは、3・11がきっかけだったそうです。
歴史は繰り返し、また再び小さなお店や移動販売が活躍するのでしょうか。
駅前商店街は、昔は一番の活気があり、まさしく人々の集まる中心でした。
それが時代が進むと共に寂れてしまい、その中心は郊外の大型店舗へと移りました。
誰が呼んだか「駅前シャッター商店街」。
閉店してシャッターを閉めっぱなしの店ばかりになってしまった商店街を揶揄して言われた言葉です。
その駅前に活気が戻ってくると予想する人がいます。
ユニクロやしまむらなどの小売業を代表する「集客の雄」が出店を計画しているからです。
人口減少、高齢化、財政難などのこれからの日本の課題を考えると、駅前に公共機関を含めてあらゆる施設が集中することが予想されるからです。
やはり、歴史は繰り返されるのでしょうか。
これからの未来を一度、じっくり考えてみたいものです。
清里高原の開拓者
「Do Your best,and it must be first class」
「最善を尽くせ、しかも一流であれ」
ポール・ラッシュの言葉です。
清里高原の開拓者です。
清里高原を中心として八ヶ岳はこの夏、大ブレーク。
歴史は繰り返し、清里ブーム再びかと思わされるほど、この夏は大人気なのです。
ポーラッシュは、関東大震災の復興に貢献した人でした。
第二次世界大戦後にも来日し、マッカーサーの元で、やはり復興に貢献したのでした。
そして、あの清里高原を開拓したのでした。
歴史を知るということは大切なことです。
私たちの仕事は、関東甲信静岡地方の優良なリゾート物件を紹介することです。
そのリゾート地の歴史は当然、知らなければなりません。
素晴らしいリゾート地に生まれ変わるには、先人たちの志があり、大変な苦労や犠牲があったのです。
ただ、リゾート物件や田舎暮らし物件を紹介するのではなく、その地の歴史も一緒に紹介することこそ、私たちの役割であると思うのです。
冬が厳しく、何もなかった八ヶ岳を、あのような素晴らしい地へと開拓したその人の生き様を、多くのお客様にも伝えていきたいと思います。
ババ抜きというゲーム
トランプのゲームで「ババ抜き」は誰でも知っています。
最後にジョーカー、いわゆる「ババ」を掴んだ人が負けるいう、あのゲームです。
不動産をめぐり、関係者でこの「ババ抜き」のゲームが頻繁にされているのです。
相続税対策という名の下に、土地の持ち主は金融機関から多額の借金をして賃貸アパートを建てようとします。
金融機関と建設会社が協力して、相続税対策というセミナーとやらを開催して、彼らが言うところの相続税対策の王道とやらの、いわゆる借金して賃貸アパートを建てることを勧めるのです。
ゲームの参加者は、地主、金融機関、建設会社、そして節税をアドバイスするコンサルタントの面々です。
さて、このゲームで「ババ」を引き負けるのは誰でしょうか。
そうです、地主なのです。
30年ローンを組めば、最初の15年はほとんど金利になります。
賃貸アパートは15年後くらいからガタが来て、補修が必要になります。
お金がかかるうえに、入り手は減ります。
人は誰でも新しいアパートに入りたがるのです。
人口減少や高齢化社会が進み、これから猛烈な勢いで一戸建の空家が増えると予想される日本では、おそらく15年後にはアパートを借りるお金で戸建が借りれるようになることでしょう。
金利の支払いが終わっていよいよ元金を返す頃、修理費がかさむようになり、空室が目立つようになることは十分予想されます。
金融機関は既に金利で儲けを確保しており、建設会社も建てた瞬間には利益は回収していますし、家賃保証というトリックを使って地主を安心させていますが、保証して余りある利益を取っているわけですから、保証するのも当然のことでしょう。
その保証とやらも怪しいものです。
会社が倒産すれば、保証はただの絵に描いた餅になります。
それこそ倒産しないという保証はありませんし、リーマンや日航、ダイエーだってつぶれたではありませんか。
また、入居者が減る頃にちょうど保証が切れるようになっているのです。
いずれにしてもサラリーマンである銀行や建設会社の担当者は、30年後にはその会社にいないのです。
今の日本で30年後の社会を予想することはほぼ不可能です。
社会の仕組みや税金の税率から、土地の値段までどうなっているのかわからないのです。
いかに無責任な提案をしているかがわかるというものです。
誰が負けるかわかっている出来レースは、もういい加減にやめるべきでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%90%E6%8A%9C%E3%81%8D
2周年記念
今日、8月18日は2周年記念日です。
何の記念日かと言いますと、このブログを始めてちょうど2年になるのです。
2年前の8月18日にはじめてブログというものを書きました。
あれからあっという間の2年でした。
更新回数は今日で671回目になります。
1年後は3周年ということになるわけです。
石の上にも3年と言いますが、3年間やり続ければ、「ブログ書いています」と言っても、一応は認めてもらえるというものでしょう。
そのときは更新回数も1000回を超えます。
これもひとつの通過点です。
千日修行と言う言葉があるくらいですから、やはり小さくても自分の中ではひとつの勲章になるのかもしれません。
ブログをやり続けて良かった事があります。
たとえわずかな人でも自分や会社のことを知っていただき、興味を持っていただけたということです。
「ブログ読んでますよ」「更新楽しみにしていますよ」という一言は、やはり嬉しいものです。
そして、本を読むのが速くなり、その集中力が高まりました。
結果、ブログを書く前の何倍も読む量が増えたのです。
もちろん、書くことも苦ではなくなり、やはり速くなりました。
今では毎日、このブログの他に、社員宛の長文メールを2通書いています。
習うより慣れろですね。
これからもぜひこの「日本マウントの社長のブログ」をよろしくお願いします。
会社経営の難しさ
未曾有の大不況。
もうこの言葉には慣れてしまった感があります。
デフレが終わりそうで終わらない昨今。
価格破壊はどこまで進むのでしょうか。
大学生の就職内定率は過去最低のレベルになってしまいました。
円高や株安の不安は止まりません。
いつのまにか失われた10年は、失われた20年という言葉に代わってしまったようです。
平成21年度、日本企業の74.5%は赤字企業であり、13,306社が倒産しているというデーターがあります。
22年、23年はさらに増えるのではないかという懸念すらあるのです。
2005年の国税庁によれば会社の生存率は、5年後で15%、10年後で6.3%、20年後でなんと0.3%だというのです。
このデーターからすれば、企業は倒産することが当たり前であるとも言えます。
弊社「日本マウント」は今年が5年目です。
今年を乗り越えれば5年後の15%という企業の仲間入りを果たすことが出来るのです。
何て消極的なと思われるかもしれませんが、今の時代、まさに「一寸先は闇」なのです。
もう10年一昔と言っていた時代ではないのです。
時代の変化についていけなければ負けなのです。
そこそこ人も増えて大きくなってきた頃が一番危ないのです。
いずれにしても簡単ではないこの時代。
難しい舵取りを任せられてしまいました。
この難局をいかに乗り切るか。
これからが正念場です。
甲子園に住む魔物
やはり甲子園には魔物が住んでいるのでしょうか?
毎年必ずある大番狂わせ。
今年も例外なくありました。
東東京代表の優勝候補「帝京」を公立高校の滋賀県代表の「八幡商」が破ったのです。
甲子園史上初めての9回の逆転満塁ホームラン。
8回終わって無得点に抑えていた帝京は十中八九勝利を手中に収めていました。
9回一死後からの3連打で満塁になった後、ショートゴロで併殺、万事休すと思った瞬間のエラー。
その直後の奇跡の逆転満塁ホームランでした。
百戦錬磨の「帝京」前田監督は言葉を失いました。
「これが甲子園か」。
思い出すのは2007年の夏の甲子園。
同じく公立高校の佐賀県代表「佐賀北」があれよあれよというまに、数々の優勝候補を破って決勝に進出したのです。
そして迎えた決勝戦。
相手は格上の広島県代表の「広陵」。
広陵リードで進んだ8回裏。
奇跡の逆転満塁ホームランが飛び出したのです。
佐賀北はこの夏の甲子園で、それまでの試合を延長再試合を制したり、やはり優勝候補の帝京を延長サヨナラ勝ちをしたりして、圧倒的に不利といわれた公立高校ゆえに、まさに奇跡の優勝と騒がれたのでした。
最後までけして諦めないこと。
なでしこジャパンが教えてくれたことでもあります。
そして、小が大を倒すことも可能であること。
一寸先は闇でもあること。
魔物が住むといわれる「夏の甲子園」が教えてくれます。
http://www2.asahi.com/koshien/89/saga/news/SEB200708230012.html
終戦記念日
今日は終戦記念日。
この日を迎えるといつも思い出すことがあります。
靖国神社にある遊就館。
そこに展示してある、人間魚雷「回天」の実物。
読んで字のごとく、まさしく玉砕を目的とした人間が乗って動かす魚雷なのです。
もうかれこれ20年くらい前になるかと思いますが、初めて見た時に戦慄を覚えました。
零戦に乗って敵の戦艦に突っ込む「神風特攻隊」のことは話に聞いていました。
同じように魚雷を動かして敵の戦艦に突っ込む人間魚雷。
この魚雷に乗って戦い、海に散った若者たちの遺書の数々。
それを読んで涙が止まらなくなったことを思い出します。
国を想い、故郷を想い、父母を想う純粋な気持ちが綴られていました。
あなたたちのおかげで今の日本があるのです。
そして、私たちがこうして生きることができるのです。
ありがとうございます。
あなたたちと同じこの日本に生を受けた者として、恥ずかしくない未来を創ります。
そのために、残りの人生を一所懸命に生きます。
毎年、そんな誓いをする終戦記念日です。
水泳を楽しむ
夏のレジャーのメジャーはなんといっても海水浴。
私も家族で海水浴を楽しむのが恒例となっています。
昔も今も夏の海の人気は衰えません。
私は小学校の頃は水泳が大の得意でした。
市の大会とかで一番にはなれませんでしたが、学校では二番三番を争うくらいの力量でした。
勉強の方はからっきし駄目でしたが、スポーツは基本的にはなんでもそこそここなす万能タイプでした。
水泳の方も得意種目は個人メドレー。
当時、小学生でバタフライができる人が少なかったので、4泳法をマスターしていることは少しばかり自慢でした。
家のすぐ近くに市営のプールがあり、夏になるとほぼ毎日通っていたことが功を奏したのかもしれません。
おそらくあの時代、クラスメイトの他の誰よりも多くプールに通い、誰よりも長時間泳いだことだけは間違いありません。
中学校に入ると、私は陸上の長距離走に夢中になり、夏でも炎天下を長時間走るようになりました。
水中から出て陸へ上がったわけです。
たった小学校のときの数年間で覚えた水泳ですが、今も4泳法でしっかりと泳ぐことができます。
なるほど、体で覚えたことは忘れないのでしょう。
そして、やはり「好きこそ物の上手なれ」。
仕事も夢中になってやりたいものです。
夏の甲子園
夏といえば「甲子園」。
高校野球の夏の甲子園は、もはや夏の風物詩として定番です。
夏の甲子園といえば思い出すのが、当時、石川県星陵高校の所属した、松井秀樹選手の5打席連続敬遠。
運命の悪戯なのか、打順のめぐり合わせも重なって、前代未聞の5打席連続敬遠ということが起こってしまったのです。
相手の高知県明徳義塾高校は、完全に悪者になってしまいました。
勝者の校歌斉唱は、スタンドの「帰れ!帰れ!」のコールでまったく聞こえないくらいでした。
物議をかもしたこの試合の翌日、当時、所属していた会社の営業会議で、この試合のことが話題になりました。
当時の上司は、全員に意見を言わせた後に、このように言ったのです。
「ルールの範囲内だから、あれでいいんだ。勝負は勝たなければならない。綺麗ごとを言っていては勝てない。」
そのときはそうなんだと思っていました。
さて、話題となった「もしドラ」によれば、この5打席連続敬遠は果たしてよかったのかという疑問符が付きます。
なぜならば高校野球の目的は、観客も含めたすべての関係者に感動を与えることにあるからです。
勝った明徳義塾は次の試合では、練習試合で何度も勝っている格下のチームに負けました。
この試合で光ったのは、松井選手の真摯な態度でした。
あのとき誰がこの松井選手が十数年後に、米大リーグの名門ヤンキースのクリーンナップで大活躍し、ワールドシリーズ制覇の立役者としてMVPを獲得するとこと予想したでしょうか。
ドラフトで巨人に指名され、長島さんに鍛えられ、巨人の4番を打ち、何度も日本一に輝き、名門ヤンキースでワールドシリーズを制覇する。
しかもそこでMVPを獲得する。
松井選手の活躍を見る限り、なんという強運の持ち主だろうかと思ってしまいます。
長い目で見たときに、本当の勝者は誰だったのかと考えてしまうのです。
今年の甲子園も熱い戦いが続きます。