カーシェアリング
弊社「日本マウント」は4月からカーシェアリングを使うことになりました。
元々、都内では車を使うことはほとんど無かったため、特に所有していたわけではありません。
山梨や長野、茨城、栃木、埼玉、群馬、千葉県などに、営業マンごと自分の自宅の近くのレンタカーを借りたり、現地の駅レンタカーを借りたりする中で対応していました。
都内の特に都心で社用車を持つことは意外と大変です。
弊社の場合、もし今のビルやその近くに駐車場を借りるとすれば、一ヶ月に最低、駐車料金が4万円はかかります。
あとは皆さんご存知のように、維持費としての税金や定期点検の費用やオイル交換などの費用が当然かかってくるのです。
ローコスト経営に徹する弊社としては、最初から社用車を所有するという選択肢はありませんでした。
今回、試験的に一部の営業マンが積極的にカーシェアリングを使ってみて、今までのレンタカーと併用して、最もローコストで効率のいい方法手段を考えていきたいと思ったのです。
まだ使用前ですが、カーシェアの優れているところがいくつかあると考えます。
弊社の事務所所在地の近くのみならず、営業マンの自宅近くにもたくさんのステーションがあるのです。
しかも30分以上から10分単位での利用が可能です。
基本的には給油して返す必要がありません。
使用時間によって一番安い料金体系で料金を請求してくれるようなのです。
24時間対応が可能なので、弊社のように早朝から利用したい人には最適かもしれません。
「シェア」
まさにこれからの潮流の一端を感じる体験となりそうです。
原点回帰と再出発
仙台に本社を置く経営コンサルタント会社があります。
S・Yワークスというこの会社の社長は、知る人ぞ知る、かの有名な「佐藤芳直」さんです。
一部上場のコンサルタント会社である船井総研の創始者である船井幸雄をして、天才と言わしめたまさにその人です。
この不況の中、マスコミに成功事例として登場する中小企業のほとんどを指導していることでも知られています。
前職の船井総研時代にも上場企業最年少役員として活躍されていましたが、私はそのときからのファンであり、佐藤さんの著書は何冊か読んでいました。
昨日、東京でセミナーがあって参加したのですが、震災の影響を危惧していた自分が恥ずかしくなるほど、感動的な素晴らしいセミナーでした。
実はこの会社も例に漏れず震災の被害を受けたのです。
事務所はメチャクチャになり、セミナーの命ともいえるテキストが、紙の不足や印刷不能で用意できない事態に見舞われるのです。
しかし、佐藤さんはご自分と会社の役割を、未来の希望を語ること、そしてそれを発信することと自覚して、命を削り身を粉にして、移動がままならない中を全国を縦断して、当初予定していたセミナーを決行したのです。
佐藤さんや司会の内藤さん、スタッフの皆さんの真心のこもった真剣な姿に心を打たれました。
人間の役割とは誰かの役に立つことである。
仕事の中にこそ人生がある。
仕事の目的はお客様を喜ばせることである。
佐藤さんに教えられたことは、今や私の人生や会社の理念の根幹となっています。
一年前に初めて、佐藤さんのセミナーに参加し、直接その肉声を聞いたことが原点となりました。
そのときから一年後である昨日、震災のことにも触れたそのセミナーで、私は原点回帰しつつ、もっと深いもっと大切な新たな動機を与えられたのです。
いずれ将来、「あの時に私は生まれ変わり会社は生まれ変わり、そして日本は生まれ変わりました」と堂々と胸を張って震災で犠牲になった方々へ報告ができるようになることを誓います。
新入社員への期待
弊社「日本マウント」は、今年も今のところ三名に新しい営業マンが入社して活躍しています。
一月は二人は入りましたが、一人は事情があって辞めました。
二月に一人、三月に一人、合計三人の比較的若いメンバーです。
そのうち二人は不動産営業は未経験。
しかし、弊社で現在、活躍中の営業マンは不動産営業の未経験者が多いので、これはまったく問題ありませんし、むしろ大歓迎です。
今のメンバーも個性的な人が多いのですが、今回の新人も個性豊かな人たちが集まりました。
一人はプロのミュージシャンを目指していた者です。
本格的にプロを目指していたので、大学卒業後に数年経って初めて就業するという若者です。
ドラムを叩くようにリズミカルに営業も頑張ってくれることでしょう。
別の一人は行政書士として開業していたことがある者です。
100キロを超えるその体重からは、予想もつかないようなかん高い声で喋ります。
そのミスマッチがとても可愛らしい。
宅建主任の資格も持つこの若者は、その独特のキャラクターで既に社内の人気者です。
相撲に例えれば、張り手に突っ張りに、最後はまわしをしっかりと持って、お客様のためにあらゆる困難を見事に寄り切ってくれることでしょう。
最後の一人は都内の不動産もリゾート物件も両方扱ったことがある経験者。
もちろん、宅建主任の資格を持つ、なかなかのつわものです。
即戦略として大いに期待されています。
昨年、入社した新人はいずれも大きく成長し、今や全員エース級の活躍をしています。
さて今年の新人はいかに。
来年が楽しみです。
4年が過ぎました
震災があってからというもの、いろいろと考えることが多くなりました。
ふと気がつけば、いつのまにか弊社「日本マウント」に入社してから、早いもので4年が過ぎました。
4年前の3月1日に、私は一営業マンのとして、この会社に入社したのです。
そのときは現在のようなインターネットによる、関東甲信地方のお買い得なリゾート物件や田舎暮らし向き物件を売買していたわけではありません。
那須の土地だけを電話営業でアポイントを取り、訪問して販売していたのです。
なんとパソコンも無ければ、当然、ホームページもありませんでした。
販売図面は営業マンの一人が、コピーしたものを切ったり貼ったりしながら、超アナログ的というか原始的な方法で作ったものを使っていたのです。
1年後にやっとパソコンを導入し、現在のWebメンバーの一人が入社したり、図面作成スタッフの一人が入社して、初めてホームページが出来上がり、現在のような別荘や中古住宅の販売を開始したのです。
実質、3年が過ぎようとしています。
今まではいけいけどんどんの勢いで突っ走ってきましたが、震災後に考えることもあって、最近は違った考えを持つようになりました。
3年計画ぐらいでしっかりと基礎を固めようと思うのです。
永続できる企業を目指して、真剣に考え、課題や問題点に真正面から向き合うのです。
とにかく今のままではいけないと思っています。
自分に厳しくするのは当然ですが、将来のために、今の社員に対しても厳しくしていくつもりでいます。
それは今回、震災という想定外のアクシデントを間接的に体験して、いろいろ考える中で結論にいたったことでもあります。
万一、今、東京が同じような震災の直撃を食らったとしたならば、弊社など一瞬のうちに消滅してしまうことが確実だからです。
そうなれば、社員やその家族の生活を守ってあげることができないのです。
早急に、具体的な3年計画を立てたいと思います。
日本一のほら吹き男
「日本一のほら吹き男」
かなり昔のことになってしまいますが、日本が高度成長期のときに、植木等がさんが主演した人気映画のタイトルです。
サラリーマンがあらゆ困難を乗り越えて出世し、社内一の美人までお嫁にしてしまう成功物語です。
この男、ほらを吹きまくり、はったりをかましまくるのですが、それがことごとく実現していくという夢のようなストーリーなのです。
実は何を隠そうこの私、この映画の影響をかなり受けました。
同じシリーズで「日本一のゴマすり男」というのもありましたが、やはりそちらの方も強く印象に残っています。
おかげさまで、サラリーマン時代はいつも出世頭でしたし、出世街道をばく進しました。(笑い)
最近、楽天の三木谷さんの著書「成功のコンセプト」を読み直したのですが、この「日本一のほら吹き男」に触れている箇所があり、私と共通の認識であったことに驚きました。
私が感銘したのは次のようなところです。
植木等さんが扮する主人公は、どんな困難に出会っても、徹底的にプラス発想で絶対にめげない、落ち込まないのです。
そしてとにかく目の前の仕事に全力で取り組み、まるでゲームのように楽しむのです。
誰もが嫌がる部署に半ば左遷されても、単純でつまらない仕事を、まるで天職のように楽しみながら、一人で何日も徹夜して片付けてしまうのです。
適当にサボればいいという周りの誘惑には、まったく左右されないのです。
そのことが認められて出世していくのですが、見ていて痛快なのです。
敵も味方にしてしまうし、最悪を最善に変えてしまうという、その行動力や発想、そして明るさが成功の秘訣であることを教えてくれるのです。
大震災や原発で沈痛な日々が続きますが、被災者や現地で苦労する人々の気持ちにも配慮しながらも、こんなときだからこそ、明るく元気にプラス発想で頑張ることも必要なのでしょう。
「日本一のほら吹き男」
もう一度、観てみたい映画の一つです。
福岡へ行ってきました
九州の福岡で不動産の仕事があったので行ってきました。
羽田空港から飛行機での日帰り出張でした。
珍しく、窓側の席が取れたのですが、離陸からしばらくの間、東京の景色がよく見えました。
密集する家並みや高層ビルの数々。
1300万人余りの人々が暮らす大都会。
渋滞する車の長い列。
もしこの東京で直下型の大地震が起きたらと考えてしまいます。
今回の震災の直後からの混乱を思うと、東京を直撃した場合のことは想像がつきません。
備えあれば憂いなし。
とは言うものの、弊社や私個人を取り上げても、正直、何の備えがないというのが実情です。
ライフラインがズタズタになり、交通網が完全に麻痺し、復旧の目処すらたたなかったとしたら、一体全体、どうなってしまうのでしょうか。
考えたくないというのが本音ですが、今回の震災によって、今まで見ないようにしてきたこと、考えないようにしてきたこと、すなわち逃げてきたことに対して、正面から向き合わなければならなくなっということでしょう。
気持ちは焦るばかりですが、今度ばかりは避けて通ることはできないと思います。
今こそ危機管理が叫ばれるとき。
最悪を想定した準備をしていかなければならないのです。
想定外だったという言い訳をしないような。
飛行機の窓から小さくなる東京の街並みを見ながら、ふとそんなことを思ったのでした。
震災直後から仕事を
今回の震災では多くの会社が義援金を送りました。
またしばらく営業を自粛するという会社も多くありました。
こんなときに利益を追求する営業活動はふさわしくないという風潮からでしょう。
弊社「日本マウント」は残念ながら、その両方ともすることができませんでした。
悔しいことですし、情けないことですが、そうすることができる企業体力がまだ備わっていなかったからです。
震災直後から、千葉や茨城の海に近いところに物件を持っているお客様から、その物件の状況を知りたいなどの連絡がひっきりなしに入ってきたりしたので、その対応にも追われたのですが、一日も休みことなく働いているのが実情です。
流石に購入を希望するお客様からのお問い合わせは、震災直後から最近まではめっきり減ってしまいましたが、少しずつ元に戻りつつありますし、被災者からも物件を購入したいなどと連絡が入ってくるようになりました。
少し暇だった間にじっくりと考える時間が持てました。
弊社「日本マウント」は本当に社会から必要とされている企業だろうか。
今までのお客様は本当に喜んでくれていたのだろうか。
将来、災害時に義援金を送ることができるような企業にするにはどうしたらよいだろうか?
営業をしばらく自粛しても、社員を路頭に迷わせないような余裕を持てる企業にするにはどうしたらよいだろうか?
万一、日本が衰退していくようであれば、企業としてどうしたらいいのだろうか?
明確な答えは出てはいませんが、真剣に考える時間が持てたひと時でした。
被災地で苦労する被災者や命を削って国や国民のために働く、自衛隊やレスキュー隊、東電の社員に人々に負けないくらい、そして恥ずかしくなような頑張りをしていく決意ができたように思います。
目の前の仕事にベストを尽くす。
そしてベストとは命がけの基準である。
必ず、被災地は復旧し、やがて復興することでしょう。
そのときに私たちは果たしてどれだけ成長しているのか。
東北の地の痛みを自分の痛みとして頑張りたいと思います。
震災を契機に
震災を契機に人生を変えた人がいます。
楽天の社長である「三木谷浩史」さんがその人です。
阪神淡路大震災のときに、兵庫県明石市にある実家は難を逃れたものの、友人3人を失い、更に幼い頃に可愛がってくれた、最愛の叔父や叔母を亡くしてしまうという不幸に見舞われるのです。
そこで何百という遺体を目にしながら、三木谷さんは「死生観」を持つようになるのです。
人間はいつ死ぬかわからない。
人間の一生は余りにも短い。
ハーバードビジネススクールで学んだときに、世界中から集まったビジネスエリートの刺激を受けて、興銀の頭取になるという目標から起業するという目標に変えた三木谷さん。
震災は5年後というその起業の計画を2年後に早めた瞬間でもありました。
もし当初の予定通り5年後であったら、インターネットによるショッピングモールを核とする、今のようなビジネス展開にはならなかったに違いありません。
楽天の世界的な発展を見るときに、起業したときの、あのときのあのタイミングが、余りにも絶妙だったと思うからです。
今回の震災では楽天は3億円の義援金を提供しました。
これはトヨタやソニー、パナソニック、日立製作所、日本たばこ産業、武田薬品など日本を代表する企業と同じ額だそうです。
今回の震災では原発問題もあってか、日本はもう駄目だろうと危惧する人も多いと聞きます。
でも私は信じたい。
被災地である東北の地から必ずや、将来「楽天」を超えるような企業を率いて、日本を復興させ発展させてくれるリーダーが現れることを。
過去の栄光を捨てよ
「成功は一日で捨て去れ」
ユニクロ社長の柳井さんの著書のタイトルです。
なんとも過激なタイトルだと、出版された当時は思ったものでした。
注目されているプロ野球日本ハムの新人投手の斉藤祐樹選手。
少し前の話になりますが、オープン戦のウイニングボールの受け取りを辞退したというニュースを耳にしました。
非公式戦といえ、相手は天下の巨人軍。
普通であれば取っておきたいような記念球だと思います。
それに無関心だったというから、若いのにたいしたものだと思ってしまいました。
あるプロ野球評論家は、プロとしての資質を見たと言っていました。
思い出したのは、ロス五輪柔道金メダルの山下泰裕さんです。
過去は一切振り返らず、未来しか観ないという哲学に徹しています。
したがって数々のメダルやトロフィー、表彰状はまったく飾っていないというのです。
人間は下り坂にさしかかると過去の栄光にしがみつくようです。
時代の変化に取り残され、過去のやり方がまったく通用しなくなり、もがき苦しんでいるベテランが、過去の栄光を振りかざし、昔の武勇伝を語ることに酔いしれている姿はこっけいなものです。
しかしそういったシーンがいまだに繰り返されるのが、サラリーマン社会の常なのでしょうか。
少なくとも現在成功し、今後も成功し続ける人は違うのでしょう。
過去の栄光を捨て、過去の成功を捨て、昨日の自分を捨てることができる人。
その資質こそ、成功し続けるのに必要なものなのかもしれません。
お問い合わせの数
戦後最大の惨事となった東北関東大震災か10日が過ぎました。
先日は奇跡的に80歳代の老婆とその16歳の孫が救助されました。
幾つもの条件が重なった、まさに奇跡だという話ですが、悲惨な被災地の状況の中で一筋の希望という光明を見ることができたような気がしました。
原発の問題も、死をも恐れない勇敢な現場のスタッフの頑張りによって、最悪の事態を免れたというニュースも伝わってきました。
まだ予断を許さない状況だと思いますが、命を削ってまでも国と国民を守るという「大儀」に生きる「決死隊」のチームワークによって、必ず解決されることを信じています。
さて、こんな中ですが、弊社「日本マウント」も休まず営業を続けてまいりました。
というのは、千葉県や茨城県の海に近い物件を購入したお客様や売却を依頼しているお客様が沢山いらっしゃったからです。
物件は大丈夫かというお問い合わせが相次ぎました。
なかなk確認が取れないで時間だけが過ぎていきましたが、ようやくここへきて、弊社に関係する物件はそれほど被害を受けていないことがわかってきたのです。
一日も早く、お客様に安心していただけるように、引き続き確認に全力を上げたいと思います。
また、激減していた購入に関するお問い合わせの数が少しずつですが、回復してきたように感じます。
しかし、おそらく海に近い物件はしばらくの間は敬遠されることでしょう。
現に今まで海の近くを検討していたお客様の中には、少し海から離れた内陸の物件に切り替えたお客様も現れはじめました。
想定外の津波の恐ろしさをまざまざと見せられた今回の震災の影響は、私たちの仕事においてもしばらくは続くだろうと思います。
私たちも、今回の震災の教訓をしっかりと胸に秘め、お客様のためにベストのアドバイスをしていきたいと思います。