二度寝はしない
私は基本的には二度寝はしなことにしています。
朝、目が覚めたら必ず起きることにしているのです。
ブログを書いて一時間ウォーキングすることにしています。
雨が降っていたら半身浴です。
これが日課となっています。
だいたい毎日午前4時前には目が覚めます。
そこで絶対に二度寝をしないのがポイントなのです。
少し早いかなと思っても起きてしまうのです。
流石に午前3時前に目が覚めたときは別ですが、3時頃のときはそのまま起きてしまうことにしています。
会社には7時前には出勤します。
そして夕食は食べないことにしています。
小腹が空いたときは、なるべく早い時間にパンを一口か二口。
そのかわり朝食と昼食はしっかりと食べることにしているのです。
そして全力で仕事をし、終わる頃にはへとへとになります。
だから夜は早く寝れます。
不眠とか寝つきが悪いということとは無縁です。
そして朝の目覚めも快適ですし、目覚まし時計はいらなくなりました。
これが、私の健康法です。
人生は平等である
今や日本を代表する名経営者となった、ソフトバンクの孫正義さんと楽天の三木谷浩史さんには、いくつかの共通点があります。
一つ目は、二人とも仕事が楽しくてたまらないそうなのです。
「こんなに面白いものは無い」
「ゲームのようだ」
二つ目は二人とも初期の頃から、売上や総資産などの経営数値で「兆」という単位を意識し、なおかつ公言していたのです。
孫さんは、豆腐を一丁二丁と数えるように、売上を一兆二兆と数えるようになるんだと公言していました。
三木谷さんは、10年後には総資産を一兆円にして、そうなったら一丁あがりと言って現役を引退するとやはり公言しているのです。
いずれもそれを聞いていた当時まだ数少なかったスタッフは、ぽかんとして開いた口が塞がらなかったほど驚いたというか、何を言っているのかよくわからなかっとそうです。
三つ目は、創業時にはどれくらい働いたのかという質問に対して、なんと二人ともまったく同じこと答えをしているのです。
「一年365日、一日26時間」。
一日で26時間は物理的には不可能です。
おそらく死ぬほど働いたとか、メチャクチャ働いたとかという自負が26時間と言わしめたのでしょう。
ワタミグループの渡邉美樹さんも、起業のための軍資金を貯めるために佐川急便で働いた一年間は、寝たのは車を運転中に赤信号で止まったときだけだったと言っています。
これも物理的には不可能でしょう。
やはりそう表現できるくらい、働いたということなのです。
それ相当の成功は簡単には手に入らないのです。
棚からぼた餅やラッキーパンチを期待しない方がいいのでしょう。
そう考えれば、人生は平等なのかもしれません。
節電に慣れてきました
震災以降、節電の習慣にどうやら慣れてきたようです。
計画停電や停電を回避するために節電していたのが、今や当たり前になってきました。
当初はコンビニの看板の電気がついていないことに違和感があったり、店が閉まっていると勘違いしたりしたのですが、今では当然のように感じるのです。
オフィスでも同様です。
消灯癖がついたり、多少暗くても当たり前のように感じます。
考えてみれば、江戸時代は電気がなかったわけです。
日の出とともに起きて、夕陽が沈むとともに寝るという健康的な生活をしていたのでしょう。
また、ろうそくの灯を囲んで大家族が仲良く力を合わせて生活していたのでしょう。
今までが当たり前なのではなく、今が当たり前なのかもしれません。
今までは無駄が多く、贅沢すぎたのでしょう。
文明や科学の進歩が必ずしも人間を幸せにしたとは限らないと思うのです。
1000年に一度といわれる今回の震災は、およそ2万5000人もの尊い命を一瞬にして奪い去りました。
しかし、それと同じ数いやそれ以上の数の人間が、1年間に自らの手でその尊い命に終止符を打っているのです。
そうです、日本は世界有数の自殺大国なのです。
私たちはこの事実をしっかりと直視しなければならないのだと思います。
震災を契機に何がどう変わったのか。
いずれこのことが問われる日が来るのでしょう。
私たちは必ず変わらなければならないのです。
35年前の記録
インターネットで自分の名前を検索していて見つけた記録でした。
中学生のときの2000メートル走の記録。
長野県の諏訪地方の記録で、諏訪記録と題されていました。
諏訪市、岡谷市、茅野市、下諏訪町、富士見町、原村の6市町村を合わせて諏訪地方といいます。
1976年の記録ですから、まさしく35年前の記録なのです。
嬉しいような恥ずかしいような。
しかし35年前の記録と名前が残っていること驚きでした。
これもインターネットによる恩恵なのでしょうか。
もしインターネットがなければ、私がこの事実に気がつくこともなかったことでしょう。
それにしても、インターネット恐るべし。
過去の記憶をよみがえらせ、当時の嬉しかったことや苦しかったことを思い起こさせてくれました。
当時はまさに青春真っ盛り。
勉強もしないで走ることに明け暮れていた毎日でした。
その後に高校に進学して、2度の全国高校駅伝への出場。
京都の都大路を走りました。
私は大学進学と同時に走ることを止めてしまいましたが、同僚は二人、箱根駅伝を走りました。
今では懐かしい思い出です。
パソコンを前にして毎日仕事に明け暮れていたときの、つかの間のタイムスリップをした楽しいひと時でした。
桜前線
日本の国花はご存知の通り「桜」です。
桜の花は開花してから、ほぼ一週間で散ってしまいます。
花の命は短いとはよく言ったものです。
だからなのでしょうか、桜の花の美しさは、どの花よりもひときわ美しく感じてしまうのです。
今年は震災の影響で派手なお花見は控えて人が多かったようですが、かえって静かにじっくりと観賞することができたのではないでしょうか。
日本という国土は南北に長いので、桜が開花する時期がそれぞれ違います。
また狭い地域でも山があり標高差があるところが多く、場所変えれば二度三度と桜を楽しめることができるのです。
私も東京で桜を楽しんだ後に、仕事で訪れた信州松本で再び、満開の桜を堪能することができました。
そのときは、その松本から少し離れたやや標高の高い麻績村(おみむら)や美麻村(みあさむら)では、まだつぼみでしたので恐らく今頃が満開なのでしょう。
さらに北で標高が高い、大岡や戸隠高原、飯綱高原などはさらに満開の時期がずれるのです。
狭い国土でも南北に長く、しかも標高差がある日本という国。
その国花としての桜。
そして移動する桜前線。
なんとも不思議な気がします。
被災地でも津波の被害を乗り越えて、見事に咲き誇った桜があったとの話を聞きました。
日本人はどんな困難や艱難に遭遇しても、雪や寒さの厳しい冬に耐えて春に咲き誇る桜を見ては、慰められ励まされて、再び希望を見出して前進してきた民族だったのでしょう。
今年ほどその桜が美しく感じた年はありませんでした。
偉人の母
かなり昔のことですが「偉人の母」という本を読んだことがあります。
歴史上の偉人は、そのほとんどが母が素晴らしい人だったという内容でした。
盲目のピアニストとして、もはや世界的に有名となった「辻井伸行」さんも例外ではありません。
やはりその母である「辻井いつ子」さんが素晴らしい人だったのです。
いつ子さんが、伸行さんの音楽の才能に気付いたのは、生後8ヶ月のことだったそうです。
伸行さんはショパンの「英雄ポロネーズ」がお気に入りで、毎日CDを聞いては手足をばたつかせて大喜びをしていたとか。
ある日、CDが傷ついたので買い換えると、途端に伸行さんの機嫌が悪くなってしまったそうです。
そのとき、「同じショパンの英雄ポロネーズをかけているのに、どうしていつものように上機嫌にならないのだろう。もしかして演奏家が違うからではないか」と、ひらめいたのだそうです。
なんと、伸行さんは演奏家の違いを聞き分けていたのです。
それを見抜いた母だったわけです。
でもすぐにピアニストにするつもりはなかったというのです。
いろいろなことに興味を持たせて、最後に残ったのがピアノだったのです。
子どもが何が好きなのか、その素直な気持ちを優先させることに時間をかけたというのです。
「盲目ではピアノなんて無理だ」と何人からも言われたそうです。
しかし、いつ子さんは常識や先入観をすべて取り払って、子どもの可能性を信じきります。
子どもの「好き」に対して、親は完全な支援者であっていいと言い切るのです。
そして、褒めることを以って、伸行さんの才能を開花させていくのです。
「伸りん、頑張った。すてきな演奏だった。もっと聞かせて。もっと上手になって」と。
あるコンクールで参加者のお母さんが「どうして間違えたのか」等々、こどもを厳しく叱っていたそうです。
そのやり取りを聞いていた伸行さんはこう言ったそうです。
「僕がお母さんにああ言われたら、ピアノを嫌いになっていたかもしれないね」。
今ではお母さんの付き添いがなくても、一人で海外に行き活躍を続ける、世界的ピアニストとなった伸行さんなのです。
一芸に秀でる
今年も米大リーグで活躍するイチロー選手。
前人未到の11年連続200本安打の記録達成が期待されます。
イチロー選手の記録を見ると、他の選手と比較して圧倒的に多いのが内野安打の数です。
歴史に「もし」はタブーですが、もしイチロー選手の足が今よりわずか少しでも遅かったとすれば、おそらくそれで並みの選手になってしまったことでしょう。
なるほど、一芸に秀でるということは、こういうことなのでしょう。
守備においてもその俊足がいかんなく発揮されているのです。
ビジネスでも「長所伸長法」というのがあるそうです。
長所を伸ばすことが成功の秘訣だとか。
欠点を直すより、長所を伸ばして欠点を克服することが早いというのです。
イチロー選手も本気になれば、そこそこホームランなどの長打を打てることは衆知の事実です。
それは試合前のフリーバッティングを見ればわかるのです。
柵越えを連発する、イチロー選手のパフォーマンスはもはや有名です。
オールスターのホームラン競争に出場することを本気で勧める人も多いと聞きます。
その長打を封印して、俊足を生かした短打だけに絞り込んだ、イチロー選手の戦略が大記録を生み、歴史に残るスター選手への道を開いたのでしょう。
まさに「長所伸長法」です。
絞り込んででも、何が何でも一番を創る。
これはスポーツでもビジネスでも共通する「成功のセオリー」なのかもしれません。
三高と三低
「三低」
今どきの女子が結婚相手に求める三つの条件のこと。
「低姿勢」「低依存」「低リスク」。
つまり「威張らず」「頼らず」「食いっぱぐれのない、手に職系の仕事を持つ人」のことを言うのだそうです。
では「三高」とは。
正解は昔の女子が結婚相手に求めた条件です。
バブル期には、「高身長」「高学歴」「高収入」の「三高」が人気だったが、5~6年前からは一転「三低」が脚光を浴びるようになったとか。
そこで、弊社「日本マウント」では、日本マウント版の「三高」と「三低」を考えてみました。
お客様へご紹介するリゾート物件や田舎暮らし物件が「高品質」であること。
お客様へのサービスが「高サービス」であること。
そしてお客様への対応がいつでも「高速」であること。
この「三高」を目指したいと思います。
そしてお客様へご紹介する物件は比較的「低価格」であること。
また購入した物件を売りたいときには、比較的に早く売れる、いわゆる流通している物件のため、「低リスク」であること。
弊社の社員がお客様に接する姿勢が、文字通り「低姿勢」であること。
さらに、この「三低」もしっかりと意識していきたいと思うのです。
昔「三高」、今「三低」ではなく、弊社「日本マウント」はいつでも「三高」そして「三低」でありたいと考えます。
まだまだ、その理想から遠く、課題も山積みですが、しっかりと目標を見据えて努力していくことをお約束します。
運勢を下げる罠とは
悪党という言葉があります。
しかし何故なのか善党という言葉はありません。
悪は必ず徒党を組むのだそうです。
そういわれてみればそうなのかもしれません。
善悪とは違いますが、運勢のある人とない人も同じようなことがいえます。
うだつが上がらず低空飛行を続けるサラリーマンは、必ずといっていいほ退社後に居酒屋につるんでたむろするのです。
そこでは上司批判や組織批判に花が咲きます。
悲しきかなこれは出世競争に遅れを取ったサラリーマンの常なのでしょうか。
船井総研の会長であり、社長時代には当時42億円あった借入金を47億円の内部留保に変え、売上、利益、配当をすべて2倍にしたいう「小山政彦」さんは、けして居酒屋には近づかなかったといいます。
そこに行くと運勢を下げるからという理由です。
何故、運勢を下げるのか。
「銀座まるかん」の社長で連続長者番付で有名な「斉藤一人」さんの説では、陰で人の悪口を言う人は毒を出しているので、近づくとその毒を食らってしまうというのです。
さしずめ、居酒屋ではその毒とやらが渦巻いているのかもしれません。
組織に属すれば、不平や不満があるのは当たり前です。
優秀な人ほど粗が見えてしまい、そういう気持ちを持ちやすいものです。
しかしそこは「反面教師」に徹することです。
臥薪嘗胆でその気持ちを飲み込んで、自分が天下を取ったときに、組織改革や業務改善を断行するのです。
天下を取る人間は、黙々と一人で勉強し、我道を行くようなタイプの人が多い理由のひとつです。
逆に現在、運を下げている人は、いつから下がったのかを冷静に分析してみなくてはいけません。
意外と陰で人の悪口を言ったり、逆に聞いたりしたときからということが多いものなのです。
想定外
リーマンショックは100年に一度といわれました。
今回の震災は1000年に一度といわれています。
次は何が起こるというのでしょうか。
まさか、1万年に一度のことが起こるのかもしれません。
想定外という言葉が飛び交っています。
リーマンショックも想定外であったし、今回の震災のマグニチュード9も想定外、津波の高さも想定外、原発の問題も想定外。
すべてが「想定外」という言葉で片付けられてしまうのが恐ろしい。
これからは、想定外を想定しなければならないのでしょうか。
想定外のことが起こったときに頼りになるのは直感です。
想定外ですから当然、経験やマニュアルやセオリーなどは通用しないのです。
今回の震災でも、避難所に指定されていたところに避難したがゆえに被災してしまった人もいました。
とっさに高台や屋上に避難し、しっかりと手すりなどを握って離さなかった人たちが助かったというのです。
最後は直感を信じる。
だからこそ、日頃から自分の直感を磨く。
そのために学び続ける。
不透明な時代だからこそ、必要なことなのでしょう。
常に謙虚に学び続けたいと思います。