もう少し工夫して欲しいこと
地方のあるホテルでのことです。
どちらもその地方では老舗の一流ホテルだと思うのですが、少し工夫して欲しいと思うことがありました。
一つは朝食バイキングのことです。
野菜サラダを選ぶコーナーで種類が多いのは良いことなのでしょうが、お客様が選んだりお皿に盛り付けるのに時間がかかってしまい、待っているお客様の列が渋滞になってしまうのです。
他の食品との並べ方が悪いので、その他のコーナーは空いているのに、この場所を通ってから他のコーナーに行くような動線を作ってあるのです。
待たせれているお客様がイライラしている雰囲気が伝わってきます。
もう少し工夫が欲しいものです。
二つ目は別のホテルでのことですが、パソコンに繋ぐLANケーブルの件。
このホテルでは机についていないのです。
テレビの横についているのです。
不思議なのはその近くには机もなく、コンセントもないのです。
いったいどうやって使うのでしょうか。
これにはもう笑ってしまいました。
私は仕方なくテレビをどかして、そこにパソコンを置き、冷蔵庫のコンセントを抜いてそれを使いしました。
お客様が使うことを考えて設置したとは思えないのです。
これが地方の老舗ホテルの基準なのです。
サービスの本質をもう一度考えて欲しいと思いました。
そうでなければ、益々、地方は廃れていってしまうでしょう。
力がある者が勝ち、やがて全国展開し、地方の老舗は滅んでいく歴史が、あらゆる業界で進んでいってしまうのです。
もう一部のビジネスホテルチェーン店の方が、ある意味サービスが上かもしれません。
負けるな!地方の老舗や一流と言われてきたホテルよ!
そう叫びたくなりました。
天才料理人
天才料理人「米田肇」さん。
ミシュラ三ツ星の凄腕です。
驚くのは開店からわずか1年5ヶ月でそれを極めたことです。
さらに驚くのはその経歴です。
高卒後、電子工学を学び、コンピューター関連会社に就職。
夕食代を200円に切りつめ、トイレットペーパーを節約するために会社で用を足すなどして、2年間で600万円を貯めて、大阪の料理学校で1年学んだ後、料理の世界に飛び込むのです。
26歳の時だったそうです。
その後、日本での修行中も、その後のフランスでの修行中も、けして順風満帆とはいかず、むしろ数々の試練を悪戦苦闘しながらも乗り越えて、遂にミシュラン三ツ星に至るのです。
そのミシュランがコース前半の野菜料理を「パレットのように彩り豊か」と絶賛したというのです。
「地球からの人へのメッセージ」とメニューに書き添えたこの料理は、まるでデッサンなしにキャンバスならず大皿に色とりどりの野菜ピュレと生野菜、温野菜で模様を描いていくものなのです。
頭の中の配置から0.5ミリでもずれたら、すべてをやり直すというのです。
「100マイナス1は、99じゃありません。ゼロなんです」。
「三ツ星は取れると思っていました」。
自らの料理の腕と美意識に自負がある、天才「米田肇」さんは淡々とした口調で語ったそうです。
天才は天才たる理由があるのです。
この料理、一度、味わってみたいものです。
台風での出来事
台風が去りました。
今回の台風で被害にあわれた方も多かったことでしょう。
謹んでお見舞い申し上げます。
この日、私は神奈川県の茅ヶ崎にいました。
お客様宅で商談中だったのですが、時間が経つにつれて風が強くなり、テレビでの情報では電車が次々と運休になり始めました。
お客様も心配してくださり、その時点では藤沢駅からは東海道線が動いていたので、藤沢駅まで車で送ってくださったのです。
途中、車は大渋滞。
道路際に立つバス停はほぼすべて倒れていました。
バイクや自転車はまったく動かすことはできず、歩いている人は傘は役に立たず、歩くのもままならないほどの暴風でした。
藤沢駅にやっと着いたところ、その時点では小田急線もJR線もすべて運休。
開通の見通しが立たないという最悪の状態となっていました。
これはひょっとしたらホテルに泊まらなければならないかと心配して、いつも利用している携帯の楽天サイトを見てみました。
少し驚いたことは既に、台風により足止めを食った人のための素泊まりを特別価格で宣伝しているホテルがあったことです。
商魂たくましいというのか、情報化時代の今日、これが普通なのかもしれません。
多くの人が待機している喫茶店でも、パソコンを叩いて猛然と仕事をしている人もいました。
時間や場所を問わずに仕事が普通にできる時代になってきたのでしょう。
どんな事態に陥っても普通に仕事ができることが理想なのです。
そんなことを考えながら、私も待っている時間に持ち合わせていた本1冊と雑誌を2冊読むことができました。
読もうと思っていたのですが、忙しさにかませてなかなか読めなかったものです。
転んでもただでは起きない。
これが私のモットーです。
朝食バイキング
ビジネスホテルの話を続けます。
超人気ビジネスホテルの朝食バイキングは早朝から大賑わいです。
このホテルは6時半からなのですが、直ぐに大混雑になります。
選ぶのを迷っていると後ろで待っている人に迷惑をかけてしまうほど。
そこで私が心がけていることは、何を取り何を捨てるか決めることです。
まるでランチェスター戦略ですね。
よく言われる、まず、やらないことを決めることに似ています。
絞り込むこととも言えます。
和食か洋食か、洋食で玉子料理ならスクランブルなのか目玉焼きなのか。
利用してたての最初の頃は、いろいろな料理に目移りしたり迷ったり。
ついつい欲張ってしまい食べ過ぎたり。
今では大分慣れてきて、このホテルを利用するときは、楽しい朝食を満喫しています。
余裕が出来てきた最近では、客観的にこの朝食風景を見て楽しむことができるようになりました。
欲張ってお皿からこぼれるほどに山盛りに、和洋折衷で盛り付けるのは、やはり若者の特権でしょうか。
選ぶのに時間がかかってしまい、後ろで何人もの人がイライラしている待っている光景も目にしますが、他人の気持ちを汲めるようになれば、もっと楽しい時間が過ごせるようになるのでしょう。
やや少な目の料理をさっと選んでゆっくり味わいながら食べる人の姿は素敵です。
何か絵になるような存在感を感じさせるものです。
あんな年のとり方をしたいと思うのです。
立ち居振る舞い。
大切ですね。
ビジネスホテル戦争
出張が多い私は、全国のビジネスホテルを利用します。
どのホテルも生き残りをかけて様々な工夫を凝らしています。
中でもいつもほぼ満席なのが、やはり特色のあるビジネスホテルです。
今やありきたりのサービスやその他同じというホテルでは駄目なのでしょう。
ホテルに限らず、特色は何か、他との違いは何かということが明確に打ち出されていなければならないのです。
違いがはっきりしていてこそ、差別化戦略なのです。
特色のある一つは、会員になるとカードが発行され、インターネットで予約すればフロントに寄らなくても機械でそのカードが自動的に部屋のキーに変身するのです。
自動的にポイントも貯まり割引サービスも受けることができます。
1階が大手ファミリーレストランのチェーン店になっていますので朝食サービスなどはそこを使うシステムになっており、清算も機械でしますから、ほとんど人件費が不要のようです。
それがグレードの割には価格の安さに反映されており、いつも満室状態の人気につながっているのでしょう。
もう一つはサウナ付温泉があるホテルです。
露天風呂もあるので本格的です。
ここは朝食バイキングも魅力の一つ。
和食や洋食、その種類も豊富でやはり本格的です。
最近、朝食を無料にするホテルが増えている中で、しっかりと朝食を有料にして、そのかわりお客様に満足を提供しようとすることで一線を画しています。
ところがどっこい夜の9時から無料でラーメンが振舞われるサプラズがあります。
このホテルはリピーターも多く、いつも満室でなかなか予約が取れません。
ビジネスホテルを動向を見るだけでも、ビジネスの勉強になります。
特色は何か。
何が他社と違うのか。
自問自答してみることをお勧めします。
故郷での思い
仕事の関係で久しぶりに故郷へ立ち寄りました。
インターチェンジ周辺の商業施設は、昔とかなり違う顔ぶれになっていました。
同じ業種でも違う会社になっていました。
また、まったく違う業種になっていたりしました。
十数年振りに見た光景ですが、企業や商売の栄枯盛衰は都会も地方も同じなのでしょう。
この期間、リーマンショックがあり、円高不況があり、そして今年は震災という激震がビジネス界にも走った年でもありました。
しかし、変わらず発展し続けている企業もあるわけですから、そこには何か秘訣や法則というものがあるに違いないのです。
それを探求し学び続けるのが、経営者の役割なのでしょう。
繁華街を抜けて少し車を走らせると、すっかりと黄金色に染まった美しい稲穂がたなびく風景が続きます。
この景色はおそらく昔から今に至るまで変わらないものなのでしょう。
稲作が始まったのは縄文時代からだそうです。
私たちが教科書で習った頃は、弥生時代からという説でしたが、今や縄文時代から稲作が始まったという説が常識なのだとか。
ということは、私が見た故郷での田園風景は、もう何千年も前から変わらない風景だったということなのです。
変わらないものと変わるもの。
いつの時代もこの二つが混在することによって歴史は綴られてきたのでしょう。
生まれ育った故郷に、私は何を以って貢献することができるのか。
ふと、そんなことを思ったひと時でした。
再会の喜び
十数年振りに二人の人と再会しました。
故郷での再会となったわけですが、なにかしら感慨深いものがありました。
人間50年近く生きていればいろいろなことがあります。
特にこの十数年という激動の時代には、お互いに紆余曲折もあり、山あり谷ありの人生だったのでしょう。
語らずともわかるものがあるです。
修羅場を越えて、よりたくましくなったその笑顔が、すべてを語ってくれていました。
お互いにその修羅場の話に触れなくても、笑顔でこうして再び会えたことだけで良いのです。
それが素敵なことだと思います。
縁とは面白いものです。
何かのきっかけがなければ果たせなかった再会。
懐かしい昔話で花が咲きました。
つかの間の楽しいひと時でした。
きっとこの先、この再会により、なにか新しいことが生まれそうな予感があります。
今の仕事と妙に関連があるからです。
この素敵な再会をお膳立てしてくれたMさん、ありがとう。
素敵な再会を必ず実り多きものしますよ。
http://kotobank.jp/word/%E7%B4%86%E4%BD%99%E6%9B%B2%E6%8A%98
日々勉強
最近、自分の知識量の少なさ、教養のなさを嘆いていました。
これを挽回するには、日々勉強しかないことはわかっているつもりです。
学生時代の勉強は、勉強の仕方を勉強することなのだそうです。
本当の勉強とは、社会人になってからするものなのでしょう。
人生経験を積んで、初めて本当の勉強ができるのです。
「学びとは態度である」。
こんな素敵な言葉を聞いたことがあります。
なるほど、何を学ぶかも大切なことですが、学ぶ姿勢を学ぶことこそ、より本質であり大切なことなのでしょう。
勉強したことを実践し、そしてまた勉強する。
いかに素直に実践し、いかに謙虚に学ぶことができるかです。
セミナーに参加して、講師の生の声を聞き、その表情から学ぶことは、本を読むこととはまた違った学びを得る場でもあります。
百聞は一見に如かずと言ったところでしょうか。
巷では様々なセミナーが開催されています。
学ぼうと思えば幾らでも学べる環境が整っているのが現代です。
弊社「日本マウント」でも、社員は希望すれば有料の外部セミナーに参加することが許されている環境にあるのです。
私はある程度人生経験を重ねた今こそ、本当の学びの時なのだと思って、積極的にセミナーにも参加し学ぶことを心がけています。
今年は「学びの秋」としたいものです。
読書の秋
まだまだ残暑が続きますが、秋の気配が間近に迫っている昨今です。
食欲の秋、芸術の秋と言いますが、なんといっても「読書の秋」という言葉が一番しっくりきます。
私はもう50歳を過ぎて、人生も後半戦となっているわけですが、過去を振り返ったときの唯一の悔いは、読書量が圧倒的に足りなかったということです。
高校卒業までは、学校の課題図書などもほとんど読まず、勉強もろくにしないでスポーツに遊びに明け暮れていました。
大学時代に読書に目覚めたのですが、それもつかの間、社会人になってからはまた元の木阿弥となってしまいました。
その後に仕事柄、管理職に就くようになってから、読書がいかに大切かに突然目覚めたのです。
ちょうどその頃、自宅にあったテレビが壊れてしまい、本を読まざるを得ない環境に置かれたことも功を奏したのかもしれません。
しかし、時既に遅しとはこういうことを言うのでしょうか。
まさしく、痛恨の極みといった心境です。
経営者となって、同じ経営者という立場の人とお会いし会話をする度に、自分の知識量の少なさ、教養のなさに愕然とするのです。
すべては読書量の差が原因であることを最近になってようやくわかったのです。
成功した名のある経営者の中には、「私は読書が嫌いだ」とか「本など読んだことがない」などという発言を真に受けていたことが恥ずかしい限りです。
彼らの言うところの「本は嫌いだ」という表現は、プロ野球で3度の3冠王を取った落合選手が練習嫌いとして有名だったのと同じようなことであって、実は落合選手が陰では一番練習していたことは衆知の事実なのです。
私が思う限り、おそらく読書嫌いで成功した人は誰一人としていないのです。
印象的なのは、ワタミの渡邉美樹さんが大好きな野球を犠牲にして、将来、社長になるという目的のために、高校時代に読書に没頭したことです。
また、ソフトバンクの孫正義さんが、長期入院したときに、かの有名な「孫の二乗の法則」を編み出すために、およそ4000冊もの本を読破したという話です。
遅ればせながら、今頃になって読書に励んでいる私ですが、最近は歴史小説なども読むようにしています。
小泉元首相が絶賛したという「信長の棺」を書いた加藤廣さんの本能寺3部作や司馬遼太郎さんのまだ読んでいない本などです。
読書の秋。
今から名著との出会いが楽しみです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E9%95%B7%E3%81%AE%E6%A3%BA
猫カフェ
東京の品川区東大井にある私の自宅近くにはネットカフェがあります。
このネットカフェの一部が猫カフェに変わるらしいのです。
巷では猫カフェがブームなのでしょうか。
そういえば、仕事柄よく行く長野県松本市のビジネスホテルの道を挟んで向かいにも、猫カフェがあることを思い出しました。
私が大学生の頃は、普通の喫茶店かインベーダーゲームやパックマン、テレビマージャンなどのゲームができるテレビゲームを置いてある喫茶店ぐらいしかありませんでした。
友達と駄弁ったり、静かに本を読んだりするときよく行ったものです。
そのうち漫画喫茶なるものができたり、やがてそれはネットカフェなるものへと進化していくわけです。
そうそう、都会の繁華街ではノーパン喫茶とかトップレス喫茶とやらもしばし登場したりしたものです。
今なぜ、猫カフェなのでしょうか。
昔に比べて、人間同士のふれあいとかつながりのようなものが、希薄になっているのかもしれないのです。
それを猫に求めているのでしょうか。
所詮、人は一人では生きていけません。
助け合い、励ましあいながら生きていくのが人間なのだと思います。
最近では、若者達が何人かで喫茶店に入っても、全員が携帯電話をいじっていて会話がまったくないのが普通だとか。
何か違うような気がしてならないのです。
ツイッターの虜になり、片時もパソコンや携帯電話から離れることなく、ツイートしまくっていたある男性が、「とうとう妻が家を出て行った」というツイートを残していたことをつい思い出してしまいました。
3.11以降、「絆」ということが盛んに言われるようになりました。
やはり、人間同士のホットな繋がりが大切だと思うのです。
しかし、どうも気になる「猫カフェ」。
一度、話の種にでも、猫カフェも覗いてみようと思います。