落合博満「采配」を読んで
プロ野球元中日ドラゴンズ監督「落合博満」さんの著書「采配」を読みました。
8年間率いてセリーグ優勝が4回、日本一が一回。
Bクラスは一度もなし。
まさに名将です。
現役時代は、3度の三冠王、史上最強のスラッガーでした。
この人には「名選手必ずしも名監督ならず」という格言は通用しないでしょう。
では、何故、常勝軍団を創ることが出来たのでしょう。
その秘密が知りたくて「采配」を読んだのですが、答えはいたってシンプルなものでした。
12球団一、練習量が多いからなのです。
落合さんの考え方の根本に「100回バットを振るヤツに勝つには101回振ればいい」というものがあるのです。
現に、中日ドラゴンズは、2月1日のキャンプ初日から紅白戦を実施すると宣言して、それを実行したのです。
そして、6連1休という、つまり6日間練習をして1日休むというスケジュールを実行しました。
他の球団は皆、4連1休というスケジュールのときのことです。
あまりにもわかりやすいではないですか。
これが、勝負の世界なのです。
ビジネスも同じでしょう。
結果を残せない理由をいろいろ考えても駄目です。
絶対的な仕事量が足りないだけなのです。
今、頑張っているのに結果が出ていないとすれば、過去にサボってきたつけを今、払わされているからなのです。
それか、頑張っているというレベルがまだまだ低いからなのです。
世の中は意外と平等に出来ているものなのです。
「采配」はそのことを教えてくれました。
日本一のゴマすり男
日本一のホラ吹き男は、植木等の主演する映画で、当時、一世を風靡しました。
そのシリーズとして人気を博したのが、この題名の映画だったのです。
この映画も、ゴマをすり続ける男が異例の出世をていく、もう一つの成功物語なのです。
ホラを吹くのとは、また違った面白さがあるのですが。
ゴマをするのは決して良いとは思わないのですが、組織の中で成功していくには、ある程度、表現こそ違えども、上手く立ち回ることは必要かもしれません。
根回しなどもその一つでしょう。
「ほうれんそう」といわれる、いわゆる、報告・連絡・相談の工夫なども必要なのでしょう。
ときには、上司や先輩を立てなければならない大事な局面もあることでしょう。
また、手柄を譲ることも必要なのかもしれません。
決して、媚び諂えということとは違う、大人の常識というのかマナーみたいなものがあるのです。
難しく考えることはなく、いかに思いやりを持てるかに尽きると思うのです。
上司に対しても、その上司になったつもりで温かく接してみることです。
どちらが大人になれるかの勝負だと割り切ることです。
「褒め殺し」という言葉も決して適切ではないと思いますが、ときには「ヨイショ」することも必要なのです。
それが絶対に嫌だというのであれば、一匹狼となって、起業して生きる術もあるのでしょう。
わたしは、この「日本一のゴマすり男」の映画を観たからではありませんが、今まで所属した組織の中では、ぼぼすべてと言っていいくらいに上司から用いられて、いつも出世街道の先頭を走ってきました。
冗談ですが、漫画の「島耕作」のようにです。
これも冗談ですが、今の会社の社長に抜擢されたときに、思わず友人に電話して「社長になったよ、島耕作みたいでしょう!」と言って笑われたことを思い出します。
すべてのことに「コツ」があるように、組織の中で成功するには、やはり「コツ」があるのでしょう。
一度、その「コツ」について考えてみることをお勧めします。
成功者は大ホラ吹きなのか
日本電産の永森重信さんが、日本の三大ホラ吹きは誰かという話をされたとか。
ソフトバンクの孫正義さん、ユニクロの柳井正さん、楽天の三木谷浩さん。
そのことを聞いた、孫正義さんは、日本電産の永森重信さんが一番だと言ったとか。
どうやら、少なからず成功者は皆、大ホラ吹きなようなのです。
思い出すのは、植木等が主演した映画「日本一のホラ吹き男」。
この映画は痛快そのものでした。
ホラを吹きまくる男が、あるゆる困難を乗り越えて、出世街道を上りつめ、社内一の美人までものにするという、成功物語なのです。
この映画は、楽天の三木谷さんもお勧めしています。
さて、この三木谷さん、かつてまだ楽天が小さかった頃、いずれ将来、総資産額を1兆円にして、それが達成できたら、一丁上がりと言って引退したいと言ったことがあったそうです。
当時それを聞いていた社員は、唖然として開いた口が塞がらなかったという話は有名です。
孫正義さんも、ソフトバンクがまだ社員が2~3人だった頃、将来は豆腐を1丁2丁と数えるように、売上を1兆2兆と数える企業にしたいと言って、やはりそこにいた社員は唖然として、何のことを言っているのか分からずに、ぽかんとしていたという話です。
真剣に吹いた「ホラ」は、実現するのでしょうか。
それとも、ホラが吹けるくらいの度量がなければならないのでしょうか。
良く言えば、プラス発想なのでしょう。
実現できる可能性のある、最大の夢を持てとは、やはりよくいわれる教えです。
私も、そんな夢を持ちたいものです。
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD15670/index.html
素敵な女性経営者
あるセミナーで素敵な女性経営者の方と会いました。
セミナー後の懇親会で会話する機会があったのです。
以前から噂に聞いていた素敵な女性経営者の方でしたので、緊張しながらも、積極的に話しかけ、名刺交換をさせていただいたのです。
ところが、相手の方がたまたま名刺を切らせていたのです。
このとき、後日、遅らせていただきますという一言を頂きました。
その後、お互いの仕事のことで話し込み、楽しいひと時を過ごすことができました。
そして、先日、そのとき約束通り、名刺が送られてきたのです。
とても素敵なお手紙と一緒にです。
過去に同じように名刺を切らせていた人が、後日、送りますと言って、送られてきたためしはほとんどありませんでした。
やはり、一流の経営者は違います。
心のこもったその素敵なお手紙には感動しました。
あの時に、すんなりと名刺交換した場合の、おそらく何十倍ものインパクトがある結果となったわけです。
果たして、私も名刺を切らせていたときに、同じような行動が取れるのでしょうか。
また、過去にそのような行動が取れていたでしょうか。
その素敵な女性経営者の行為に感動すると同時に、自分自身を見つめ直し、深く反省させられたひと時となりました。
ほんの少しの心がけで、人生は変わるのかもしれません。
小さな約束を大切にしようと、心に誓いました。
組織批判はやめた方は良いのでは
陰でコソコソと組織や上司の悪口や批判をする人がいます。
このブログでも何度も言ってきたことですが、それをすることによって確実に運勢を下げます。
会社にとっても個人にとっても、それは決して良くないことだと思うので、そういう行為はやめましょうと指摘します。
そうすると、その私の言葉を受けて、またコソコソと始まるのです。
きりがないというのか、逆効果になってしまうというのか、本当に残念なことです。
習慣化してしまっているのか、癖になっているのでしょうか。
そんなことをやっているから、その年齢でその程度の立場にとどまってしまっているという、客観的な事実にもう少し目を向けるべきでしょう。
それだけの能力があり、それだけのキャリアを積んでいれば、もっともっと実績に恵まれていいはずなのに、そうなっていない事実を直視するべきなのです。
能力はあるのに実力がないというギャップに気が付かないのです。
本来であれば、私の変わりに社長を務めていいのではないのでしょうか。
あるいは、時期社長としての候補に名前があがってもいいのではないのでしょうか。
そうでなくても、他の会社でそれに勝るとも劣らない活躍をしていて当然なのではないでしょうか。
しかし、そうなっていない事実をしっかりと認識しなければならないのです。
何かの縁があって、今の組織に属しているのだと思うのです。
その組織のために、少しでもその組織が良くなるために、いろいろな課題があっても、それが目に付くということは自分に大きな使命があるのだと自覚して、ベストを尽くしてその組織を支えるのが役割だと思うのですが。
今の上司は、やはりいろいろな課題があるとしても、自分より何か一つでも優れた点があるから上司になっていると思って、その一点を認めて、全力で支えるのが役割なのではないのでしょうか。
少なくとも、私はそう思って、今までいろいろな組織の中でそのことを実行してきました。
どうやら、まったく価値観が違う人種がこの世の中には存在するらしいのです。
最近、既に遅すぎたのかもしれませんが、そのことに気が付いたのです。
しかし、どう考えても、自分にとって損にしかならない、組織批判や上司批判はやめたほうが良いと思うのです。
もはや結論は出ていると思うのですが。
auの窓口で
私が使っている携帯電話はauです。
指定番号割引という便利なものがあり、指定した固定電話への通話料が半分になるというものです。
時間が経つと、指定先を変えたくなるもので、その変更のためにauの窓口を訪れたのでした。
私は商売柄なのか、サービス業のサービスなどにかなり関心があります。
スタッフがどんな対応をするか、どんな表情か、どんな言葉使いかなどが気になるのです。
今回、私を担当してくれたのが副店長という名札が付いた方でした。
笑顔で順調に対応してくださっていたのですが、突然、アクシデントがありました。
いきなり、外からの乱入してきた輩が、この副店長を罵ったのです。
「詐欺」「卑怯者」「騙したな」。
大声で罵声を浴びせ、怒りに震える若い男。
きっと、個人的にこの副店長との間に何かトラブルがあったのでしょう。
ばつが悪そうにしながら、私にお詫びする副店長でした。
周りのお客様も驚くやら怖がるやら、一時は騒然となりました。
一度、店外に去ったその男は、再び、戻ってきて大声で副店長に罵詈雑言を浴びせ続けます。
一方、私はというと、顔色ひとつ変えず、その男や困った顔をした副店長をまったく意識することなく、黙々と自分の用件を説明し続けました。
人生いろいろ、人間いろいろではありませんか。
何があったかわかりませんが、相手の職場に乗り込んで、相手を困らせるのは卑怯な行為でしょう。
一対一で面と向かって話し合うか、弁護士を立てて法廷で争うのが筋というもの。
副店長!
こんなことで負けないで仕事、頑張ってくださいね!
http://dic.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&dtype=2&ei=utf-8&p=%E7%BD%B5%E8%A9%88%E9%9B%91%E8%A8%80
ウォーキングをしながら
健康のために始めたウォーキング。
時間が空いたときには実行しようということで、夜に朝にと励んでいます。
楽しみながらやらなければ永く続かないと思い、雨が降ったらやめること、夜は9時を過ぎたらやらないこと、朝は決して無理をしないことにしています。
自然体を大切にしているのです。
そして、ウォーキングしながらCDを聴くのを楽しみにしています。
経営に関するセミナーや講演会のものが多いのですが、何回聴いてもその度に新しい発見があるのです。
なるほど、良書といわれるものは何回読んでも良いものですが、講演やセミナーも同じなのでしょう。
しかも声をいうものはまた不思議なもので、本とは違った魅力があり、心に響くものもあります。
本よりも数倍、ときには数十倍の対価を払ってまでも講演を聴いたり、セミナーに参加することの意義があるものなのです。
ウォーキングしながらのもう一つの楽しみは、街並みやそこを行き交う人々を観察することが出来ることです。
季節で街並みは変化しますし、時間帯や曜日でも変化するのを観るのは楽しいものです。
朝だけをウォーキングをしていた時の閉店したお店の姿は、土曜日の夜などにはそれが豹変します。
その違いを楽しむのです。
道を歩く人々の表情も十人十色です。
旧東海道にある品川宿は、その土地柄もあってか、外国人もたくさん歩いています。
昔ながらの懐かしいお店などもあります。
私が好きなのが小さな畳屋さんです。
夜のまだ比較的早い時間に通ると、その店の中を観ることが出来て、何か素敵な時間と空間を楽しめた気持ちになったりするのです。
飽きることなく楽しみながら続けられる、ウォーキングは最高です。
http://www.asahi-net.or.jp/~vn6i-hgwr/toukaidou/toukaido-frame.htm
嬉しかったお礼の言葉
私が尊敬する天才経営コンサルタントとして名高い、元船井総研常務、現S・Yワークス社長の佐藤芳直先生。
その佐藤先生が、船井幸雄先生と出会い、コンサルタント人生を歩み始めて30年が経ったそうです。
まだ途上、たかが30年と謙遜される佐藤先生ですが、その30周年を記念するセミナーが開催されたのでした。
30周年を記念して、佐藤先生の似顔絵を、弊社が誇る絵師「さやえんどう」が渾身の力を込めて描き、お送りしていたのですが、その似顔絵がセミナー会場の受付に飾ってあったのです。
これには驚くやら嬉しいやらで、その心遣いに感動してしまいました。
受付で名前を名乗ると直ぐにお礼の言葉を頂きました。
会話したほとんどのS・Yワークスの社員の皆さんから、素敵な笑顔と温かいお礼の言葉を頂いたのです。
この会場には120名を超える人々が集っていました。
流石、30年という長い歳月を多くの企業のために心血を注いでこられた佐藤先生の実績は、この不況の真っ只中でも、これほどの人々を引き付けるものなのでしょう。
その120名中の1人である私が、たとえ名札を付けていたからといって、初めて会話する多くの社員の皆さんから、お礼の言葉を頂けるなんて考えてもみなかったのです。
しかも社員の皆さんが、自発的にその言葉を発しているのが分かるのです。
考えてみれば、お礼を言うのは当たり前なのかもしれません。
当たり前のことを当たり前に完璧にやる。
そこにブランドというものがあるのでしょう。
講演の中でも、継続こそブランドであるという内容が心に響きました。
30年間、ぶれることなく一貫して継続してきた、利他の実践こそ、佐藤先生が築いたブランドなのです。
そして、それが確実にS・Yワークスの社員に継承されているのだと思います。
本物のブランドというものを観ることができた、素敵なひと時でした。
佐藤先生、そしてS・Yワークスの社員の皆さん、本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
元横綱「隆の里」のご冥福をお祈りします
元横綱「隆の里」が亡くなりました。
59歳という若さでした。
おしん横綱とも言われ、多くの人々から親しまれていた横綱でした。
千代の富士が全盛のときに、その千代の富士に滅法、強かったのが印象的でした。
あまりにも千代の富士が勝てないので、ある場所でその千代の富士が立会いの変化を試みたのです。
当時、無敵の横綱だった千代の富士が立会いで変化したことさえ驚きでした。
もっと驚いたのは、隆の里がその変化を読んでいたことでした。
あっという間に土俵の外まで押し出された、千代の富士の驚いた顔を、今でも憶えています。
相性が悪いとか、天敵というのはこういうことを言うのでしょう。
その隆里をあるお寿司屋さんで見かけたとこがありました。
私は当時、大学生。
東京の御茶ノ水駅に校舎があったのですが、駅の近くの立ち食いのお店でした。
現役時代から糖尿病を患っていた隆の里は、御茶ノ水にある日大病院に通ってきていたのでした。
そこで出会って以来、何か親近感を感じてしまい、大好きだった横綱「輪島」と共に、この「隆の里」も応援していたのでした。
昭和のヒーローがまた逝ってしまいました。
心から元横綱「隆の里」のご冥福をお祈りいたします。
安らかにお眠りください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%86%E3%81%AE%E9%87%8C%E4%BF%8A%E8%8B%B1
ジンギスカン
昨日、長野県の信州新町というところへ行ってきました。
長野市から南へ車で約30分くらいのところでした。
あるお客様と安曇野にある別荘の売却に関する商談でした。
紅葉が始まった木々が、薄い緑色した犀川を流れる水面に映るという風景は、以前にこの場所に来て感動したことを思い出させてくれました。
さて、この信州新町は「ジンギスカン」の本場として有名なのです。
いたるところに、ジンギスカンの看板が立っています。
東京でも一時、ヘルシーだということで少しブームになり、ジンギスカンのお店が増えたことがありました。
お客様との商談の後で、この本場のジンギスカンを味わうことになりました。
その本場の中でも一番だという老舗のお店に入りました。
秘伝のたれの漬けられたそのお肉はとても柔らかく、お勧めのソースにとても合うのです。
間違いなく、今まで食べたジンギスカンの中では一番の美味しさでした。
なるほど本場は違いますね。
地元の人は、店構えではなく、どの店のジンギスカンが一番美味しいのか、しっかりと知っているということなのです。
どんな商売でも、やはり一番になることは大切だと改めて感じました。
この店はお昼時、お客様で一杯でした。
私がもし再び信州新町に来てジンギスカンを食べようと思ったとしたら、間違いなくこのお店を選ぶことでしょう。
これが口コミというものなのです。
弊社もそういう会社を目指さなければなりません。
そんなことを強く感じた一日でした。