山奥の古民家
今日は信州の山奥にある古民家を紹介します。
北安曇郡池田町というところにある古民家です。
この池田町は松本市から安曇野市を通り、大町市や白馬村へ向かう途中にあります。
マラソンの瀬古選手のライバルで、ソウルやバルセロナのオリンピックのマラソンで4位と活躍した中山選手の出身地でもあります。
この古民家は池田町の中心から、かなり遠い、いわゆる山奥といっていいほど人里はなれたところにあります。
周囲には民家が散在してはいますが、本当に自然が豊かな、空気が綺麗な、下界とは隔離されたような素敵なところにあるのです。
圧巻なのは土地の広さです。
広大な土地は、約2700坪もあります。
古民家は住居が4棟、倉庫などが2棟あります。
住居2棟は賃貸中で、倉庫の1棟もこの住居をお借りしている人が、陶器を焼く釜を置いて使用しています。
残りの住居2棟は、元々最初の持ち主が学校法人だったこともあって、林間学校の宿泊施設として使っていたほどの大きさがあるものです。
大家族の住居でも、企業の研修所でも、学校法人や宗教法人の施設でも対応できる立派な古民家といっても過言ではありません。
賃貸中の物件も自己使用が可能なように、退去の件は店子と話がついていますし、逆にそのままオーナーチェンジ物件として賃貸し続けることも出来ます。
まさに希少価値物件です。
一見の価値ありと断言できます。
信州の池田町の山奥を訪ねるだけでも、貴重な小旅行になるかもしれません。
この夏、ぜひ一度、足を運んでみませんか?
ある古民家の持ち主
山梨県のある古民家の話です。
その古民家は移築したものですが、農家のものではなく商家のものなので、この地域では珍しいということでした。
とても綺麗に使っているので、直すところはほとんどありません。
特色は広い敷地に、川が流れていることと、本当に立派な蔵があること、そして素晴らしい庭園があることです。
この古民家の持ち主は、80代の老夫婦。
子供は女の子二人だったそうですが、一人はアメリカに嫁ぎ、もう一人は東京の銀座にいるそうです。
古民家の御主人が織物会社を経営していたのですが、時代の変化とともにパソコン会社に転換し、その後を継いだが次女の夫だったそうで、その拠点を東京の銀座に移すと同時に、引っ越していったそうです。
この老夫婦は、古民家を売却して、長女のいるアメリカへ引っ越す予定だとか。
素晴らしい古民家を大事に使ってくれる方に売却したいと言っていました。
今でも毎週、丹念に掃除をして、古民家の維持している老夫婦の古民家を愛する気持ちが伝わってきました。
この素敵な古民家を受け継いで、次世代へと継承してくれる、素敵な買主が現れてくれることを願いします。
5年も前から地元の不動産会社に売却を依頼しているそうですが、弊社「日本マウント」と縁を持てたのはインターネットのおかげです。
老夫婦共に、パソコンを使いこなしているのは驚きました。
流石、パソコンの会社を経営していただけのことはあります。
この老夫婦の期待に応えて、素敵なお客様に売却し、晴れてアメリカへ旅立たせてあげたいと真剣に思いました。
このお客様のために、そして素敵な古民家のために、ベストを尽くしたいと思います。
津波に耐えた古民家
宮城県南三陸町で、東日本大震災の津波に流されながらも倒壊しなかった築300年を超える古民家についての話です。
この古民家は江戸時代中期の1702年築で、震災当日まで暮らしたという持ち主は13代目だとか。
多額の費用がかかるかやぶき屋根のふき替えを欠かさず、代々守ってきたそうです。
津波で約20メートル流され、傾いたのですが、倒壊せずに持ちこたえたそうなのです。
解体という選択肢もあったそうですが、持ち主は保存を強く希望したというのです。
そこで、江戸時代の建物を集めて展示する高松市の「四国村」に移築、復元することになったそうなのです。
持ち主の思いを聞きつけて、四国村の関係者が移築を提案してくれたのです。
古民家の強さは、弊社の販売においても折り紙つきです。
関東大震災をはじめ幾つもの地震や台風に100年、200年と耐えてきた歴史があるからです。
そして、きちんと現存するという現実があるからです。
今、問題になっているシックスハウス症候群なども関係ありません。
冬の寒さは厳しいものがありますが、蒔きストーブなどの設備を整えれば大丈夫です。
ましてや最近は温暖化現象などもあってか、冬の寒さの厳しさは年々軽減しているのが現状です。
夏の蒸し暑さ対策は万全です。
冷房がほぼ要らないくらいに快適なのは保証済み。
これから、益々、古民家が注目されていくことは間違いないでしょう。
古民家再生住宅
かねてからこのブログでもご紹介し続けてきた古民家のその再生リフォームがついに終わりました。
そして、完成オープンハウスを見学してきました。
見事に生まれ変わったその姿は、あまりにも眩しく輝いていました。
このすっかり生まれ変わった古民家の主である家族との久しぶりの対面も果たせました。
この物件を購入したときは3人家族だったのが、今は4人に増えて。
思えば1年近くも前のことです。
いくつかある候補の一つとしてこの物件に興味を持っていただき、私が案内したのが始まりでした。
何回も見に来て、迷って、リフォーム会社を自ら探して、銀行と折衝してと、幾つもの高いハードルを一つひとつ越えてきたのです。
途中、出産という人生の大事業の一つを成し遂げました。
震災という本当に大きな障害とも向き合ったのです。
リフォームの材料が入荷しないというアクシデント。
たくさんに家が津波で流され、多く人が命を失い、また多くに人が家を失い、自粛ムードが世の中を蔓延する中で、こんなときにという良心の痛みもあったことでしょう。
それらの様々な困難を乗り越えて、今ここに日本の宝である素晴らしい古民家が、まさに新しい命を得てその姿をあらわにしたのです。
感動するとはこういうものだと思いました。
この再生した古民家の僅かでもその歴史を知っているものとして、感慨深いものがありました。
ご家族の笑顔がとても素敵でした。
施工した建築会社のK社長が偶然知り合いだったのも、何か運命じみたものを感じました。
お互いに昔の苦労を知っていただけに、この古民家が出会わせてくれた再会はとても嬉しいものでした。
満身創痍で完成させた古民家は、その完成とともに、今後の仕事での未来の夢に繋がる粋な演出をしてくれたようです。
きっとこの素晴らしい古民家で過ごす時間は、このご家族の幸せなひとときとなることでしょう。
近くに来たときには、また寄り道したいと思います。
小さな子ども二人の成長も楽しみです。
古民家の改装
まさかこんなにも変わるとは。
信州の松本、会田宿といわれた宿場町にある古民家のことです。
明治元年築という記録が残っているこの古民家を購入された方が、何と新築が一件建つほどの投資をして、大改装に着手されたのです。
途中、震災の影響があって工事が大幅に遅れていたようでしたが、いよいよ完成が近いという情報が、施工業者の方から入りました。
この物件の近くにも、同じような古民家があり、購入希望のお客様をご案内するたびに、つい気になって覗いて見たりしていたのです。
見るたびに驚き、感動していました。
そしてつい先日、7月2・3日に完成のオープンハウスをするという連絡があり、ちょうどそのときに近くにいたこともあって、そそくさと足を運んでしまいました。
冒頭の一言は、まさにそのときの感想です。
変われば変わるものですね。
しかし、今まで隠れていた梁や柱が露出して、それがこの改装した古民家の最大の魅力になっているのです。
まさに圧巻です。
これぞ日本の宝だと断言できます。
この素晴らしい古民家のを購入するところから改装までを、購入者が素敵なグログで綴ってくれています。
生まれ変わった古民家とともにこの素敵なブログも一見の価値があります。
このようにして、日本の宝が多くの人たちに紹介されていくことは、なんと素晴らしいことでしょうか。
この古民家を購入された方は、若いカップルだったのですが、近くの別の古民家の購入を検討している方も、やはり若いカップルの方なのです。
日本の古き良き伝統建築に、思いを馳せる若者がいることが、私は希望だと思うのです。
7月2・3日が楽しみです。