郡上八幡の変貌
昨日のブログの続きです。
さて、久しぶりに訪れた、岐阜県郡上市八幡町。
7年位前まで月に何回か頻繁に訪れた場所です。
家族ぐるみでお付き合いしていた知人がいたのと、仕事の絡みもあって、何度も足を運んでいたのです。
今回、久しぶりに行って驚いたことがあります。
観光客の数が多いのです。
町に活気があるのです。
しかも若い女性のグループが圧倒的に多いのです。
シルバー世代のグループや老夫婦ならわかりますが、何故、郡上八幡に若い女性グループなのでしょうか。
地元の人に聞いたところ、世界遺産に認定された「白川郷」の影響らしいのです。
白川郷を目当てとした観光コースに、この郡上八幡が組み入れられているとか。
これが時代の変化というものなのでしょうか。
他の地域の影響で、栄えることもあれば滅びることもあるのです。
逆に、岐阜県高山市は観光客が減っているそうなのです。
運不運もあるでしょうし、高速道路の開通など先見の目を持って未来を睨んだ戦略が、企業に求められる時代になったのでしょう。
しかも、時代の変化は益々、その速度を増しています。
そんなことを強く感じた、郡上八幡の旅でした。
郡上八幡を訪れて
何年ぶりかに岐阜県郡上市八幡町を訪れました。
「郡上八幡」と言ったほうが馴染みがあるかもしれません。
清流と名水の城下町として有名です。
郡上おどりは、全国から踊り好きが集まることでも知られています。
郡上八幡城から見渡す城下町の町並みは、いつしか魚の形に見えると言われてきました。
この郡上八幡に住む知人が、古民家や別荘、田舎暮らし向きの住宅を売却したいと言ってきたのです。
他にも売却したい人がいるので紹介したいとのこと。
関東甲信静岡地方を営業の中心とする弊社では、少しばかりその地域からは外れますが、縁故の物件には積極的に取り組むことになっていますので、久しぶりの郡上八幡への訪問となったわけです。
いつもこのブログに書いていることですが、今回もつくづく品川に拠点があることは便利だなと思いました。
品川から岐阜羽島まで、新幹線で1時間50分足らずでいきますし、そこから郡上八幡まで車で1時間です。
まさしく、弊社がお勧めする東京から3時間圏内のリゾート物件、田舎暮らし物件と言っても過言ではないでしょう。
昔、信州の松本から安房峠を通って、岐阜県高山市に抜けて、そこから郡上八幡へよく行っていたのですが、やはりたっぷり3時間以上はかかりました。
弊社のホームページにも、近いうちに郡上八幡の物件がお目見えすることになります。
案内などは、私の知人や地元の不動産会社の方の協力を頂くことになりましたので、安心してご紹介することが出来そうです。
魅力たっぷりな郡上八幡の街を満喫してください。
原発の影響を受けない市とは
この話は、あるお客様から聞いた話です。
日本全国にある原発すべてから200キロメートルの円を書いた場合に、たった一つだけその円の中に入らない市があるそうです。
何処だと思いますか?
長野県松本市だそうです。
こと原発問題に関しては、最も安全な場所ということになります。
ということで、そのお客様は長野県松本市近辺の田舎暮らし向き物件を探していたところ、もう数ヶ月前になるでしょうか、その松本市を襲った直下型地震が起きたのです。
結局、そのお客様は松本市近辺ではなく、長野市郊外の別荘地にある中古の別荘を購入されました。
日本国内では絶対に安全な場所などないことがわかったと言っていました。
松本市といえば、NHK連ドラ「おひさま」の舞台となった場所でもあります。
日本に4つしかない、国宝のお城「松本城」も有名です。
その国宝松本城を中心とした、自然豊かな城下町には、美術館があり、温泉旅館があり、たくさんのお蕎麦屋さんがひしめいています。
晴れた日には北アルプス連峰や常念岳を観ることができ、またその景色は圧巻です。
小栗旬や長澤まさみが主演した「岳」という映画の舞台にもなりました。
何かと話題の松本市。
「おひさま」もいよいよ後1ヶ月で終わりです。
清里高原の開拓者
「Do Your best,and it must be first class」
「最善を尽くせ、しかも一流であれ」
ポール・ラッシュの言葉です。
清里高原の開拓者です。
清里高原を中心として八ヶ岳はこの夏、大ブレーク。
歴史は繰り返し、清里ブーム再びかと思わされるほど、この夏は大人気なのです。
ポーラッシュは、関東大震災の復興に貢献した人でした。
第二次世界大戦後にも来日し、マッカーサーの元で、やはり復興に貢献したのでした。
そして、あの清里高原を開拓したのでした。
歴史を知るということは大切なことです。
私たちの仕事は、関東甲信静岡地方の優良なリゾート物件を紹介することです。
そのリゾート地の歴史は当然、知らなければなりません。
素晴らしいリゾート地に生まれ変わるには、先人たちの志があり、大変な苦労や犠牲があったのです。
ただ、リゾート物件や田舎暮らし物件を紹介するのではなく、その地の歴史も一緒に紹介することこそ、私たちの役割であると思うのです。
冬が厳しく、何もなかった八ヶ岳を、あのような素晴らしい地へと開拓したその人の生き様を、多くのお客様にも伝えていきたいと思います。
山高海低
山高海低。
今のリゾート物件の人気情報です。
山の人気は高く、海の人気は低いという現実。
やはり震災の影響は避けられないのでしょうか。
津波の被害がニュースになったり、あの恐ろしい光景を何度もテレビなどの映像で見せられれば、海側の立地を避けるのは当たり前のことなのかもしれません。
しかし、世の中にはあまのじゃくはいつの時代にもいるものです。
相場の世界でも、逆張りという言葉もあるのです。
こんなときだからこそ、安く買えると発想する人もいるのです。
また、死ぬほど海が好きだという人もいることでしょう。
現に、海が近い物件を探しているお客様がいるのです。
時流やマーケットも大事でしょうが、逆に、ニッチ市場やロングテールという考えも必要なのかもしれません。
弊社の海に近い場所を担当する営業マンは、今の厳しい市場に直面しても、めげずに頑張っています。
ブログやツイッターで物件情報を積極的に発信しています。
どんなに今が厳しくても、未来への種蒔きは手を抜いてはいけないのです。
厳しいときほど、希望を失わずに前を向いて、堂々と頑張るしかありません。
好調なときほど、油断しないで謙虚に腰を低くしていかなければならないのでしょう。
山のリゾートを担当する営業マンは、けして傲慢になることなく、今が好調なのは自分の実力ではなく、追い風が吹いているに過ぎないことを、しっかりと自覚しましょう。
そうでなければ、厳しい現実を克服した営業マンとの実力の差が、いずれ顕著になることでしょう。
読者の皆様も、こんなときだからこそ、海に近い物件やその担当者にも注目してみてください。
大王わさび農場
NHK連続テレビ小説「おひさま」で有名な信州安曇野。
その安曇野市の穂高という場所にその「大王わさび農場」はあります。
なんとその場所には、「おひさま」に登場する主人公、現代の陽子が経営するお店のセットがあり、ロケの現場としても有名なのです。
「おひさま」で有名になる前から、この「大王わさび農場」は観光名所として既にその名が知られていて、多くの観光バスが乗りつける完全な観光コースになっていたのです。
元々、穂高は「わさび」の名産地でも有名でした。
お蕎麦に欠かせないのが「わさび」。
だからこの穂高を含む安曇野やその周辺の松本市などでも、お蕎麦屋さんが立ち並んでいるのでしょう。
そういえば、「おひさま」の主人公である陽子が嫁いだ先も、松本市内のお蕎麦屋さんでした。
この大王わさび農場で見られるわさび畑は圧巻です。
その広大なわさび畑の迫力は、一見の価値があります。
畑そのものの美しさとともに、澄んだ水の流れる光景を見たり、耳を澄ませばその音が聞こえたりすることで、感動が広がるのです。
そしてこの農場では、売店で売っているものからレストランで出される食べ物すべてに、わさびが入っているというこだわりようです。
そうです、わさびづくしなのです。
わさびソフト、わさびアイス、わさびカレー、わさびコーヒー、そのコーヒーに入れるわさび入り砂糖。
とにかくすべてにわさびが入っているのです。
ここまで徹底していれば、まさしく本物でしょう。
わさびに完全に特化しているのです。
ここに商売繁盛の秘訣があるのです。
私たちもぜひ学びたいものです。
家庭菜園を楽しむ
最近は家庭菜園を楽しみたい人が増えています。
この傾向は益々、進みそうです。
弊社「日本マウント」にも、家庭菜園ができる物件の問い合わせが急増しています。
100坪以上の敷地が人気です。
そこで、なかなか田舎の物件を購入することに躊躇する人には朗報です。
都心の住宅街に農園付き集合住宅が登場したのです。
場所はなんと港区元麻布。
周辺に大使館や高級マンションが立ち並ぶ都内の一等地です。
17戸の小型マンションが農園付で賃貸されるのです。
約40平方メートルの農園は「元麻布農園」という名前です。
料理教室が開けるラウンジも用意されているそうなのです。
このマンションは通常の居住やSOHOのほか、農作業を楽しみたい人のセカンドハウスとしての利用も見込まれるそうです。
3.11以降にじわじわと広まりつつあるのが、人々との「絆」。
家族や友人と共に、自然と触れ合いながら深めていけるのが「絆」なのです。
そして、食の安心・安全を求める傾向も加速します。
これから、家庭菜園が益々、注目されそうです。
日本は世界の観光地へ
震災にに端を発した原発問題の影響で、日本を訪れる外国人観光客の数が激減していると聞きます。
これは本当に残念なことです。
観光事業に携わる人々の苦悩はいかばかりのものでしょうか。
この問題が長引くとしたら、日本の国益に関わるのではないかと危惧するのです。
日本はこれから先、確実に人口が減少するといわれています。
さらに、高齢化社会が加速することも確実です。
法人税も世界的に高いことで知られているのです。
益々マーケットが縮小し、企業は海外へその活路を見出していくとすれば、いったい日本の将来はどうなってしまうのでしょうか。
日本が生き残る道は、世界の観光地になるしかないと思うのです。
日本の四季折々の自然の美しさは、世界に誇ることができるものだと思います。
富士山の美しさは、もはや世界的に知られています。
古い日本建築の素晴らしさも目を見張るものがあります。
日本食の見た目の美しさや美味しさも、やはり世界に知られつつあるのでしょう。
かの有名なミシュランガイドでも、東京のその星の数は本場のパリを凌ぐ数となったそうで、もはや食の都は東京であると言っても過言ではないでしょう。
だからこそ、一日も早い原発問題の解決を願うのです。
これは日本人のみならず、世界の人々の願いでもあると思うのです。
日本は世界の観光地となり、そして国際社会に貢献する。
この願いが果たされることを祈ります。
町の再生
日経新聞のコラムに載っていたある町の再生の話です。
それは宿場町として栄えた栃木県鹿沼市の旧中心街にちょっと変わった路地があるというのです。
道を挟んで民家を改装したカフェや料理店があり、毎月、雑貨や菓子などの出店が並ぶ市が立つそうです。
常連が遠くから訪れて、行列をつくるほどのにぎわいだとか。
この街は郊外に大きな商業施設が増え中心部が寂れたのです。
今やどこの地方都市も例外なくこの傾向が顕著になっているのです。
帰郷した一人の若者が、生まれ育った路地を起点に町の再興を夢見たのです。
このような物語はどこでも同じで、志のある一人の人間の夢からスタートするのです。
ここではまず空家を転用しカフェを開いたのです。
就職難もあって、起業希望の若者が集まってきたというのです。
準備と手ほどきを兼ね、5年前に毎月の市を始めたとか。
ここでまず顧客をつかみ、開業につなげる青写真を描いたのです。
古い建物、路地、農業用水などは、車社会である地方都市では逆に面白がられ路地からあふれた人が町を歩くようになったというのです。
その後、町のなかに菓子や古着などを売る店ができ、さらに散策する人が増える流れになったのです。
これから注目されるのが、新たなハコモノではなく、いまあるものを生かした町おこしです。
しかもこの鹿沼のように若い世代による町の再生です。
若者による再創造の偉業。
未来への期待を感じる嬉しい物語です。