体力こそ重要
猛暑が続いています。
こういうときこそ体力が重要です。
このビジネスは最後は体力勝負だからです。
同じ能力ならば、多く動いた方が勝つのは当たり前の話です。
しかし、この業界は能力のある人ほど多く動いているのです。
差が益々開くのは当然のことでしょう。
若い人ほど良く動いて経験の不足を補わなければなりません。
体力は若い人の特権だからです。
ところが直ぐに疲れてしまう若者がいるが現実なのです。
自己管理、体調管理ができていないことが原因です。
スポーツでもビジネスでも同じことだと思います。
少しでも長く第一線で活躍するためには、基礎体力をしっかりと身に付けて、徹底的な自己管理が必要なのです。
楽な方に流されてしまえば、あっという間に身体がガタガタになってしまうほど、巷にはあるゆる誘惑が溢れているのです。
まだまだ残暑は続きそうです。
これから秋を迎えれば、夏の間の自己管理によって体力に差が出てくることでしょう。
しっかりと準備した人が勝者になるのです。
信州松代というところ
信州の松代へ行ってきました。
築200年という古民家の調査のためにです。
想像していたような、まさに「古民家」というものではなかったのが少し残念でした。
何回も手直ししたり、補修したりするうちに、古民家の原型が崩れていくのが常識なのでしょう。
古民家マニアからすると、その点が残念なことになってしまうわけです。
しかし、田舎暮らしを楽しむには最高の環境でした。
松代といえば有名なのが松代藩のなごりがある城下町跡と佐久間象山です。
象山神社があることでも有名です。
しかし、今回の物件の直ぐ近くに、もう一つ有名なものがあることを知りました。
旧日本軍の松代大本営跡です。
終戦直前に造られ、終戦と同時に完成途上で工事が中止になったそうです。
アメリカ軍の本土上陸に備えて造られた、堅い岩盤の中にある大規模な地下壕といってもいいのでしょう。
この工事の多くの担い手は在日朝鮮人だったそうで、工事中の事故で多くの人が犠牲になったということも聞いています。
私たちはそういう歴史の事実も正しく知ることが大切なのだと思わされました。
今はここに東洋一といわれる、松代地震センターが気象庁の精密地震観測室と共同で置かれているそうです。
この測定器では、先の北朝鮮の核実験による揺れも感知したそうで、その精密度ゆえに東洋一といわれているそうなのです。
その直ぐ近くにある、築200年を超える古民家。
そんな物件を紹介できることを誇りに思い、感謝したいと思いました。
業界紙の記事
少し前のことですが、ある業界紙の夏休み特集の記事で弊社「日本マウント」のコメントを載せていただきました。
本当にありがたいことです。
関東甲信東海地方の中古別荘の売買仲介に関しては、それなりの実績を積み重ねてきたことが、評価されつつあることはやはり嬉しいことです。
一般紙とは違い、不動産や建築業界の人たちしか読むことはないかもしれませんが、紙媒体で取り上げられるということは、これだけインターネットが発達した今日でも、その影響力はかなり大きなものがあります。
問い合わせが殺到するとかではありませんが、お客様に記事を見ていただくことによって、弊社「日本マウント」を信用していただくことに大きく役立っています。
特に年配のお客様は、新聞記事に対する信用は絶大なものがあるようです。
今までにも何回か業界紙で取り上げていただいたり、雑誌などでも取り上げていただいたことがありました。
その時の新聞や雑誌を取ってあり、営業のときには目ざとく利用させていただいているのです。
効果は確実に出ていると言っても過言ではありません。
大切なことは、これらの記事に相応しい会社に成長することだと思います。
まだまだ課題はたくさんあります。
1人でも多くのお客様に支持される弊社「日本マウント」になれるよう頑張ります。
8月の誕生会
8月生まれの社員を集めて誕生日食事会をしました。
8月生まれの社員は5人いました。
弊社「日本マウント」は、社員が20人足らずの小さな会社ですから、そのうち5人が8月生まれということは、かなり高い確率ということになります。
月によってばらつきがあるのですが、全く誕生者がいない月もあるのです。
普通に考えると均等になるのではないかと考えてしまうのですが。
8月生まれということは、まさに夏男、夏女であり、いわゆる「夏男」や「夏子」なのでしょう。
一番暑いこのときに一番燃えて頑張ってくれる面々だと期待しています。
弊社「日本マウント」は、一般の不動産売買仲介業と少し違い、リゾート物件や田舎暮らし物件をメインに扱っているために、夏に一番売り上げが上がる傾向があるのです。
まさにこの8月が一番の表舞台になるわけです。
今回の誕生日食事会は、会社の近くの居酒屋で行いました。
前から気になっていた居酒屋ですが、社内の誰も入ったことがなかったところです。
今や飲み放題の価格競争は当たり前の時代です。
今回の居酒屋も例外に漏れずといったところでした。
前の誕生日食事会では、時間無制限の焼肉食べ放題、飲み放題という焼肉店でしたが、それなりに満足ができる内容でした。
益々、競争が激しくなるビジネス戦国時代は続きます。
私たちもより一層、気を引き締めて仕事に向かわなければなりません。
後見人制度を利用しての不動産売買
弊社「日本マウント」でも、後見人制度を利用しての不動産売買の仲介をするかもしれません。
夫が痴呆症の不動産を売却したい人がいるのですが、その夫と共有名義になっているため、売買が頓挫していたのです。
自分が後見人になって売却を進めようしたところ、相続人の1人である娘さんが反対したため、再び頓挫してしまったのです。
どうしたらいいかと相談を頂いたので、第3者を後見人に立てて売却を進めることをアドバイスしました。
法律的にはそういうことが可能なのです。
勿論、その共有名義の不動産を売却する正当な理由があり、裁判所が許可しなければならないわけですが。
今まで任意売却物件や管財物件などで弁護士や司法書士と関わることが多かったわけですが、今後は後見人としての弁護士や司法書士と関わることも増えてくるかもしれません。
高齢化社会が益々、進むことを考えると、後見人制度を利用して不動産を売却する人が増えていくことは十分に予想されるのです。
その場合、相続人の中で誰かが後見人になるのが理想のようですが、いろいろと利害が絡むこともあり、同意が得られないときには、今回のように第3者を選任することもやはり増えてくることでしょう。
時代は進み、そして時代は変わり、不動産売買の流れも変わっていくのでしょう。
常に時代の流れを読み、先手先手と手を打つことが大切なのかもしれません。
アンテナを高く立てて、日々変わる情報にも敏感にならなければならないのです。
しかし、百聞は一見に如かず。
今回の件も、話には聞いていましたが、実際にそういう現場に遭遇して初めて、時代の潮流のようなものを実感しました。
観ること、そして経験することが如何に大切かということが分かりました。
すべてが勉強だと再認識した出来事でした。
古民家を見に行きます
知り合いから電話がありました。
古民家を売りたい人がいるとのこと。
物件の資料を先に頂きました。
こちらで調べたところ、築200年を超えていることが分かりました。
現在、居住中ということなので、まだ十分使える物件であることは間違いないようです。
畑や山なども文字どおり山ほど付いてくるそうなので、いったいどれほどの物件なのか今から興味津々です。
信州は松代にある物件です。
この物件を紹介してくれた知り合いが言うには、リフォームはほとんど必要のないほどしっかりとした優良物件だそうです。
松代といえば有名なのは佐久間象山です。
江戸時代は松代藩があったそうで、歴史的な建造物もたくさん残っている町です。
東京からも3時間以内で行くことができる、田舎暮らしには最適な町でもあります。
近いうちに見に行くことになりました。
弊社のホームページで紹介できる日も間近でしょう。
古民家ファンの皆さん、ぜひご期待ください。
物件を高く売るためには
最近は首都圏の物件の売買仲介が増えきました。
あっという間に売れてしまうものと、なかなか苦戦するものとがあります。
勿論、金額が1番大きな要素ですが、それだけではないことも事実です。
弊社「日本マウント」が扱っている物件の中に、間口が3メールの宅地延長部分がある物件があります。
もし、この間口が4メートルあれば、あっという間に業者が買い取ることができた物件でした。
2区画で建売ができるだけの敷地面積があるからです。
この土地は手前の部分をかなり前に1部分売却しているのですが、もう1メートル確保して売却していればと悔やまれるところです。
その当時はきっと、今回の売却など想定していなかったからでしょう。
将来は予測ができないものです。
売却することも想定して購入したり、1部売却することも必要なのかもしれません。
別荘なども使い勝手によっては、売却するときの価値がかなり違ってきます。
やはり使わなくなった物件は、あっという間に傷んでしまうものです。
よく空気を入れ替えるだけで違うといいますが、本当にその言葉どおりなのです。
頻繁に使い、こまめに掃除したりメンテナンスをしていれば、そこそこの値段で売却することができるのが別荘なのです。
使わなくなり痛んでしまえば、土地だけの値段よりも安くなってしまうものです。
建物の解体費用分が差し引かれた金額になってしまうからです。
使わなくなった別荘は、貸すか売るかのどちらかにするのが賢明です。
これからの時代は、別荘も頻繁に売買をする時代になります。
車を買ったり売ったりする感覚です。
ぜひ、使わない別荘をお持ちの方は弊社「日本マウント」に相談してみてください。
使わないままでいると資産価値があっという間に下がってしまうからです。
お気軽にどうぞ。
新幹線「こまち」で秋田へ
8月15日のお盆の真っ只中、出張で秋田まで行ってきました。
往復10時間かけての日帰りという強行軍でした。
まずは東京駅から新幹線「こまち」に乗って秋田駅まで行きました。
盛岡までは「はやて」と連結されての走行です。
盛岡からは「こまち」単独での走行となりました。
山間部をゆっくり走るのには少し驚きました。
しかも、大曲駅でスイッチバックしたのには更に驚きました。
山間部を抜けてしばらくすると、両脇には見事な水田が果たしなく続きます。
この光景は圧巻でした。
流石、日本有数の米どころである、まさに「秋田」の風景でした。
私は仕事柄、海や山の光景は見慣れていましたが、これほどの水田が見事に続く光景は初めてでした。
秋田駅から目的地の駅までは在来線で1時間ほどのところでした。
田舎をゆっくりと走るワンマンカーの窓からは日本海の美しい風景が飛び込んできました。
駅でお客様と合流して、一緒に昼食を頂きました。
90歳近くになる今回の売主の方も、素敵な笑顔で私を迎えてくれたのです。
日本の田舎には素敵な景色と心温かい人々の温もりがあるのです。
仕事を終えての帰りは、ちょうど帰省からのUターンラッシュと重なりました。
東北の田舎で素敵なお盆休みを過ごした、たくさんの家族連れが、新幹線「こまち」の乗車して夜の東京へと向かっていました。
私にとっての今年のお盆は、初めての東北新幹線「こまち」に乗っての、やはり初めて「秋田」への旅となりました。
こうして、私の素敵な秋田への旅は終わりました。
オリンピックの思い出3
今日は冬季オリンピック編です。
札幌オリンピックの70メートル級スキージャンプの日本選手の金銀銅メダル獲得、すなわち表彰台独占は圧巻でした。
長野オリンピックでのスキージャンプ団体の原田選手の大飛躍とその後の涙のインタビューは、今でも思い出すだけで目頭が熱くなります。
前のオリンピック、リレハンメルでのスキージャンプ団体の最終ジャンプにおける大失速のリベンジを、見事に果たした大飛躍でした。
私が1番衝撃を受けたのは、レークプラシッドオリンピックの男子スピードスケートで全種目完全制覇したアメリカのエリク・ハイデン選手の活躍です。
小学生の頃、冬は毎日のようにスピードスケートに明け暮れていた私でしたので、この世紀の大偉業はまさに驚愕の出来事でした。
全種目とは、500メートル、1000メートル、1500メートル、5000メートル、そして1万メートルの5種目なのですが、いわゆる短距離から長距離まですべての金メダルを独占する快挙を成し遂げたのです。
パーフェクト・ゴールドメダリスト。
奇跡をというのか、不可能を可能にしたというのか、人間の持つ恐るべき能力を垣間見た瞬間でもありました。
この世に不可能ということはないのだと教えられたのです。
今ではスピードスケートも専門化がどんどん進み、2種目を制することも難しい時代ですから、今後は2度とこのようなことは起こることはないかもしれません。
オリンピックはいつの時代も感動の連続です。
人間が限界に挑戦し、世界一を決定する大舞台ですから、そこにはドラマがあり、観ているものは感動させることが出来るのでしょう。
そして、そこから学ぶべきことがたくさんあることに気がつくのです。
少なくとも私は、オリンピックを観るたびに、私も頑張らなければという気持ちにさせられるものです。
オリンピックの思い出2
思い出に残るオリンピックシーン話を続けます。
モントリオールオリンピック。
女子体操のルーマニアのコマネチ選手。
当時の体操の採点は10点満点からの減点法でした。
最高得点でも9.90とかでしたし、電光掲示板ではなく観客にはボードで採点を表示していました。
3枚の数字のボードしか用意していなかったので、コマネチ選手の演技が終わって教示された得点は、1.00だったのです。
10.00という得点が出ることが想定外だったのです。
私は人間の成す業で完璧というものは初めて見たような気がしました。
平均台の上で舞うように演技し、その細い場所へ完璧に着地するのです。
私だけでなく、日本全国、全世界に人々が驚愕した瞬間でもありました。
この時期、私は中学生で陸上競技の長距離走に没頭していました。
そのなこともあってか、陸上男子5000メートル、1万メートルのオリンピック2回連続2冠を達成したフィンランドのラッセ・ビレン選手のことが印象に残っています。
ミュンヘンオリンピック男子陸上1万メートルで途中、転倒しながらも当時、世界新記録で優勝したことも驚きでしたが、その後の活躍はあまりぱっとしない中、見事にオリンピックに標準を合わせてきたのでした。
今回のロンドンオリンピックでは、ボルト選手が陸上男子100メートル、200メートル、400メートルリレーで2大会連続3冠という偉業を成し遂げました。
惜しくも北島選手は、男子水泳の平泳ぎ100メートル、200メートルで3大会連続の2冠という世紀の大偉業は成し遂げられませんでしたが、連続2冠というものが如何に凄いことかが分かります。
私にとっては、陸上男子長距離の連続2冠という偉業は衝撃的なことでした。
さて、ボルト選手は次回のオリンピックも出場するのでしょうか。
3大会連続の3冠の夢をぜひ実現して欲しいものです。