駅伝名門校
長野県の佐久地方に私立「佐久長聖高校」という高校があります。
今や言わずと知れた高校駅伝名門校です。
都大路における全国高校駅伝での優勝、準優勝、入賞の常連校として、年末のテレビによる駅伝中継ではもはやその活躍は見慣れたものとなりました。
圧巻なのは正月の箱根駅伝での卒業生の活躍です。
今年の箱根駅伝では活躍する選手の映像が出るたびに、その卒業校の名前で「佐久長聖」という文字が何度となく登場していました。
実はこの佐久長聖は最初から強かったわけではありません。
長野県はもともと駅伝後進県だったのです。
私が長野県代表として都大路で走った2年間は、その順位は恥ずかしながら下位の方でした。
当時は圧倒的に九州や四国勢が強かったのです。
いわゆる西高東低というやつです。
冬は寒さが厳しく雪も多い長野県や東北よりも、温暖な気候で冬でも十分トレーニングができる九州や四国地方が強いのは当たり前という風潮があったのも事実です。
では何故この佐久長聖が強くなったのか。
専用グランドがなく部員がいないという中で監督に赴任したのが「両角速」さんです。
箱根駅伝や実業団駅伝での活躍を買われて、5年以内での都大路出場を期待されて、無理だと思いながらも、両角監督はグラウンド作りから始めるのです。
石を拾い、草を刈って慣らして苦心して造ったグラウンドは、一周600メートルの最大70メートルも高低差があるクロスカントリーコースとして結果的に偶然生まれたものだったのです。
両角監督は自ら選手獲得の宣伝のため「佐久長聖」というロゴが入ったユニホームを着て、現役選手として各種大会に参加することもしたのです。
そんな中で集まってきた選手は、最初は卓球やバスケットボールの選手だったとか。
しかしほぼ全員が寮で過ごす中、毎日ミーティングを重ね、徐々に強くなっていったのです。
それはプロ野球の野村監督やマラソンの瀬古選手を育てた中村監督に似ています。
すなわち人生観を教え、礼儀やマナーなどの人間としての基本を教えたのでした。
4年後に都大路初出場4位入賞という快挙を達成して以来、連続出場、常に優勝争いに絡み、ほとんど入賞するという、まさしく「名門」として駅伝界に君臨することとなったのです。
今年から母校の東海大学で駅伝部の指揮を取ることになったという両角監督。
正月の箱根駅伝の楽しみがまた一つ増えました。