上司に恵まれるとは
いかにいい上司恵まれるかは、今後の社会人としての運命を決める。
果たしてそうなのでしょうか。
また、いい上司とはいったいどんな上司のことをいうのでしょうか。
上司ではありませんが、私の中学校の担任の先生は、面倒見がいいとか、教え方が素晴らしいというわけではありませんでした。
むしろどちらかというと、ぶっきらぼうで冷たい感じのする、よくテレビドラマに出てくるような熱血的な教師とは対極の教師といってもいいくらいでした。
中学二年の冬に、ある進路に関するアンケート用紙が配られて、そこに将来希望する大学を記入する欄があったのですが、まだ中学生の私は日本にいったいどんな大学があるのかもわからないまま、地元の国立大学名をとりあえず書いて提出したのです。
そのとき、その大学名を見た担任の先生は一言、
「笑わせるんじゃねえ」。
その一言で私の闘争心に火がついたのでした。
「いつかあいつの鼻を明かしてやる」。
それから猛勉強をし、成績はうなぎのぼりに上がりました。
ついに高校進学のとき、当時、陸上競技の長距離走に青春のすべてをかけていたこともあって、その地方一番の進学校ではなく、陸上の名門校へ進学したいと思っていたのですが、担任の先生はその一番の進学校への進学を強く勧めたのです。
熱心な勧めを断って、陸上名門校に2番の成績で合格した私は、その後2回の全国高校駅伝の出場を果たしました。
変わって、社会人となって数年経ったころのことです。
今の常識では考えられない暴力上司に出会いました。
空手の黒帯であったその上司は、鉄拳制裁は当たり前で、まさに毎日が恐怖の連続でした。
実際に流血したり、骨折したり、今の時代ならパワハラで社会問題になるようなことばかりでした。
その後、私は不動産業界に足を踏み入れて、バブル時代には物件を占有するヤクザと渡り合ったりしましたが、恐怖心を持つことも無く堂々と交渉することができました。
他人が経験しないようないろいろなことを経験しましたが、よほどのことでもないかぎり、動揺することはありませんでした。
人生は何が幸いするかわかりません。
今、自分の人生を振り返ると、あの中学校の担任の先生と暴力上司に感謝している自分がいるのです。
その当時は少なからず恨んだり憎んだり、少なくとも好きではありませんでした。
しかし、もしあの二人に出会っていなかったらと思えば、私の人生はもっとひ弱な違った人生になっていたと思うのです。
いい上司とは、そのときは意外とわからないものなのです。